協同組合運動の父・オーエン

協同組合運動の父・オーエン

2018-09-25

協同組合運動の父・オーエン

黒い共産主義

二つの革命について

前章までに挙げた「清教徒革命」と「フランス革命」は別名をブルジョア革命(市民革命)とも呼ばれます。それは、革命の推進者となったのがブルジョアジー(生産手段を持って、労働者を使って事業を行い、利益を得る階級)であったことに由来しています。フランス革命などはいかにも市民が自由、平等そして政治的権利の獲得に立ち上がったように描かれますが、ブルジョア革命の本質はブルジョアジーたちが貧しい農民や都市に住む貧民たちの社会に対する不満をたくみに利用しながら、封建的な搾取階級(脚注 1 )に対しておこなった革命でした。

これらの革命によって豊かな生活を手にすることができると期待していた農民や貧しい市民たちは、しかし、「市民」という身分は得ることができましたが、経済的には何ら変わりませんでした。
ここで使う「市民」という語は、日本語における意味の不明瞭さがあることに注意が必要です。

もともと日本語には「市民革命」という言葉はなく、それは「ブルジョア革命」の訳語として生まれました。「ブルジョア」とはフランス語で「街(村)の人」の意味ですから訳語としては妥当なのですが、本来の意味は「農村ではなくて人の行き交う街(村)に住み、ある種の特権を持つ人」というものです。このように「ブルジョア」を定義すれば、ブルジョア革命(市民革命)という用語がより理解しやくすなります。

革命の成果はブルジョアジーたちに独占されてしまい、主役であるはずの市民に対しては、労働者としての団結や雇い主との交渉(ストライキ)などは禁止されてしまいます。たのです。結果的にブルジョアジーたちが大衆に与えたものは、法のみの「平等」でしかなく、大衆が望んだ財産の平等はありませんでした。革命を戦った市民が求めたユートピアは、どこにもない空想の社会のための闘争として終わってしまいました。しかしそれはまた同時に、理想とする社会の実現は一握りの革命家によるのではなく、広く大衆の力によらなければならないことを学んだ時代でもありました。

産業革命

社会主義運動の主役となるのは「労働者」です。(かつての日本社会党が多くの労働組合によって支持されていたことを思い出してください)。しかし、この労働者が社会の中で大きなグループ(階級)となり実質的な運動のエネルギーに成長するためには、たくさんの数の労働者が社会に生まれなくてはなりません。

それは、産業革命をきっかけに生まれました。産業革命とは、端的に表現すれば物を作るという作業が、手作業から機械を利用した工業へ移り変わったことをいいます。

資本主義(脚注 2 )が社会的に確立されようとしていた時代(1760年~1840年頃)のイギリスに現れ、技術的、経営的、そして社会的な変革を遂げながら、全世界へ広がってゆきました。産業革命は工業機械の飛躍的な発達をうながして、都市に大工場が続々と建てられました。そしてその都市には、仕事を求めてたくさんの労働者が地方から押し寄せてきました。同じ地域に集まった労働者は、ごく自然に一つの集団を作ります。彼らは互いに、自分たちの暮らしがきびしいこと、仕事がつらいこと、会社での待遇が悪く不安だ、というようなことを話し合うようになります。

そのような人間のごく自然な要求から労働組合が誕生しました。そして、これにより資本家と労働者の対立は具体的になり、理想的な社会を目指した社会主義思想は、労働者の現実的な生活の問題にかかわるようになっていきました。産業革命が社会に及ぼした影響のいくつかを、当時のイギリスの中にみてみます。

① この時代のイギリスは世界の工業・商業の中心地帯でした。紡績業、鉄鋼業、海運業など、近代的な事業のほとんどがこの地で発達します。事業の規模が大きいことは、必然的にそこに働く労働者の流入につながってゆきます。農村から都市へ、短期間での都市部の人口は爆発的にふくれあがりました。と同時に、それは都市部での犯罪やスラム街の発生をよび、深刻な社会問題となってゆきます。

イギリス・マンチェスター地方の人口の推移(単位1000人)
1685年 1790年 1880年
リバプール 4 40 552.4
マンチェスター 6 30 393.7
バーミンガム 4 28 400.8

  

② 19世紀の初めまで、労働者の健康や利益を保護するような規約や法律も、施設もありませんでした。資本家たちにとって労働者は製造工程に必要な要素以上の意味をもつものではなく、人間を酷使しているなどという感覚はあまりなかったでしょう。さらに、不景気や事業計画の失敗などで経営が行き詰まると、躊躇せずに一時に多量の労働者を解雇していました。また、次々に新しくなる機械は労働者の職が失われるという不安を誘う結果となり、イギリスばかりでなくフランス、ドイツの各地でも機械の打ちこわし暴動がさかんに起こります。

③ 婦人や子供の労働者が著しく増えたのもこの時代の特徴です。資本家が雇用、解雇、賃金の上げ下げなどを勝手気ままに行えるようにするには、不平を言わない婦女子の労働力は大変に好都合でした。イギリスの木綿工場では、婦人労働者が57%を占めていた例もあります。当時の1日の労働時間は12時間が普通で、16時間に及ぶ仕事をしても賃金の割増はわずかでした(現在の日本にも似たような例は散見されますが・・・)。8~9歳の子供でさえ、朝5時から夜11時まで働かされていたという記録もあります。しかも、労働者には病気や傷害についての保証は何もありませんでした。

④ 産業革命が進むイギリスで最も大きな社会主義の運動は、ロバート・オーエン(1771~1858)という紡績工場の経営者によって記されました。
オーエンは1771年5月14日イギリス・ウェールズ地方のニュータウンの生まれ。馬具商と金物商を兼業する父母の裕福ではない家庭の6番目の子として生まれ、幼少期からその聡明さはよく知られていました。10歳になると、自ら望んで住み込みの職を選びその後紡績業で成功しスコットランドのニューラナーク工場を買収し、支配人となります。(1968年まで操業し、ニューラナーク工場は現存し、世界遺産に指定されている)オーエンの成功のカギは、彼独自の生産管理と労務管理にあったと言えるでしょう。

どのような性格であっても適切なアドバイスと手段によって適切な性格を形成できるという環境決定論を展開し、その手段は社会に影響力を持つ人達が保有していると考えました。実際、彼の工場内に学校などの教育施設を設立し、良品を原価で販売する売店を設置するなど、労働条件の改善を図って労働意欲の向上と経営者への信頼を育むようにしました。ナポレオン戦争の影響により繊維業界が不況の時であっても 1 人も解雇せず、機械の整備などの仕事をさせたといいます。

労働階級の救済策として生産から消費まで一貫して構成員自らが行う大規模な協同村を提案を議会にしますが、これは私的所有を前提にしていたために受け入れられることはありませんでした。彼はその後もさまざまな機会を捉えて自身の思想を社会に浸透させることに務め、1825年にはアメリカに渡って、私財をもって「ニュー・ハーモニー」という協同村を設立しますが、集った者は現実社会からの脱落者が多く、わずか2年で失敗してしまいます。

オーエンは、労働者にとって利益のある仕事がないのは、資本主義経済で使われるお金にあるとして、貨幣の廃止を提言しました。また、農業の重要さを説き、共同経営による農場も提案しました。さらに彼は、自分の工場から得られる利益の5%以上を労働者の厚生施設にあて、労働条件の向上をはかります。オーエンの提案は政治的にも大きな影響を及ぼし、それまで禁止されていた労働組合の結成も1825年に解かれ、さらに1847年には10時間労働法も制定されるようになりました。

オーエンはまた、ロンドンに労働交換銀行を設立しています。貨幣を使わないこの銀行では、生産者は自分が作った商品を銀行に持ち込み、銀行からその商品の価値に相当する証明券をもらいます。そして、生産者はその証明券で自分の欲しい物を銀行から買うという、いわゆる物々交換の仕組みでした。しかし、この銀行も18ケ月で閉鎖されてしまいます。

オーエンの特徴は、労働者の立場に立って、労働者のために何をなすべきかを考え、それを実行した点にあります。そして彼は、理想と考えた社会の実現を、武力闘争などの力によらないで言論によって成し遂げようとしました。後の共産主義者たちは、彼のような社会主義思想を「空想的社会主義」(脚注 3 )と批判しましたが、急変な社会構造の変化を伴った産業革命を通して、資本主義の矛盾に身をもって対抗していった人道思想家であったことは事実です。彼の行動は共同組合制度を生み、労働運動を促進しました。イギリスではオーエンは「協同組合運動の父」と称えられ、彼の支持者たちは後に歴史上始めて「社会主義者」と呼ばれたのです。


 1:搾取
生産手段の所有者(つまり会社の社長)が、生産手段を持たない直接生産者(社員=労働者)を必要以上に働かせた結果として得られる利益を労働者に分け与えずに、自分だけが手に入れること。

 2:資本主義
生産手段を資本(事業をするためのもとで)として持っている資本家(企業に資本を提供している人)が、労働すること以外に何も持たない労働者を使い商品を生産し利潤を得る経済構造。日本やアメリカなどの自由圏の国々は、この経済体制をとっています。

 3:空想的社会主義
言論などの穏やかな手段によって社会の改革を目指そうとする社会主義をいいます。マルクスとエンゲルスによって、現実の資本主義社会を科学的に分析しておらず、労働者自身の力で理想の社会を実現するには現実的ではないとしてこれは真っ向から否定されました。これに反し、暴力をもって体制を崩壊させて一挙に理想社会の実現を目指す社会主義を「科学的社会主義」といい、共産主義がこれにあたります。