妖怪を止揚できなかったマルクス

妖怪を止揚できなかったマルクス

2018-11-16

妖怪を止揚できなかったマルクス

黒い共産主義

『妖怪がヨーロッパじゅうを歩きまわっている。共産主義という妖怪が。』、という書き出しの「共産党宣言」は、4章からなっています。

第1章
『ブルジョアとプロレタリア』
あらゆる社会の歴史は階級闘争であるとし、資本主義社会が発達すれば、プロレタリアの勝利は必然となると説いています。
第2章
『プロレタリアと共産主義者』
全てのプロレタリア階級運動を指導するのは共産主義者以外になく、プロレタリアの勝利は共産主義者によってのみ可能であると断定しています。また、プロレタリア革命政府が確立されるためには「産業軍」と呼ばれる武力が必要であるとしています。
第3章
『社会主義的および共産主義的文献』
従来の社会主義や共産主義的思想を批判しています。
第4章
『種々の反対党に対する共産主義者の立場』
共産主義者は労働者の直面する利益にために戦うことを宣言しています。また、現存するすべての社会秩序を暴力によって破壊することのみが、共産主義者の目的を達成する手段であると宣言しています。そして、「万国の労働者よ、団結せよ!」と呼びかけています。

「共産党宣言」では、政治的権力を手に入れたプロレタリア革命が歩む道を示していますが、その中で特に注目すべきことは、すべての人々に強制的な労働義務を要求していること。そして、「産業軍」と名づけられた軍隊式の労働組織を提案していることです。マルクス共産主義の基礎には、明確に「軍隊」が置かれ、暴力による革命の必要性が説かれています。これが共産主義を「黒い」と形容したピエロの根拠です。数年前に日本共産党現書記長の志位和夫が『戦争か平和か―歴史の岐路と日本共産党』なる埒もない本を書いていますが、暴力革命を必須項目にする共産主義者に国家を論ずる資格もありませんし、ましてや「平和」を語るなど論外です。

 余談になりますが、この「共産党宣言」にはそのモデルとなった本があるという意見もあります。共産党宣言が出される1年前にフランスで出版されたV.コンシデラン(脚注 1 )の手になる「社会主義の原理・19世紀の民主主義宣言」がそれです。両書の内容がたいへんに似かよっていることから、クロポトキン(脚注 2 )はその主著「近代科学とアナーキズム」の中で次のように述べています。『コンシデラン「社会主義の諸原理 ー 19世紀民主主義の宣言」の中でうたっている経済的諸原理は、マルクス・エンゲルス「共産党宣言」でコピーされている。』。
 グルジア王家の王子出身でクロポトキンの同志だったグルジアの思想家チェルケゾフも、『この場合において、マルクス、エンゲルスが要求できる唯一の栄誉は、自分たちが先生から学んだものをそのまま口真似して繰り返した忠実な弟子としての栄誉だけである。』と述べています。

 「共産党宣言」を始めとするマルクスの思想を貫いている要素はいくつかありますが、まず弁証法的唯物論についてみてみましょう。

 先ずは「弁証法」について。
 次のようなプロセスを想定してみてください。

 美しい花が咲いた → 美しい花は枯れて醜くなった → しかし、実をつけた

 「醜さ」は「美しさ」に内在していて、しかも「醜さ」を通して「実」をつけた。このよう見方が、弁証法的な思考プロセスと呼ばれるものです。対立するものを包括して、次の高い次元へ導くということでしょうか。

 続いて「唯物論」とは、精神的なものに対して物質的なものに根源性をおいて、精神的なものはその現象にすぎないと見なす認識の仕方です。人間の意識や精神でさえ脳という物質的な器官の働きの一つであるとして、宇宙には自然の事物を超えるものは何も存在しないとします。

 そして「弁証法的唯物論」とは、自然・社会・歴史の発展過程を、物質的なものの弁証法的発展としてとらえようとしたものです。(マルクス、エンゲルスは自分らの立場に「弁証法的唯物論」という言葉を用いたことはありません)そして、弁証法的唯物論が自然現象を完璧に説明できる世界で唯一の科学的な方法であるとして、心のはたらきを重視する宗教に基づくような解釈をすべて否定しました。

 弁証法的唯物論の考え方を人類の歴史に応用してマルクスらは、人間社会の歴史を動かしている力は優れた人の思想や理想などにあるのではなく、人間の生活に必要な物資を生産する力にあるとしました。そして、この物を作る力の発展こそが人類の歴史を変えてきた原因ということになります。彼らによれば、偉大な人物が歴史を創るのではなく、物を作ることに直接に関わり、社会が存在してゆくための物を生産している労働者が、歴史を創ってゆくのだとしています。これが一般的に唯物史観と呼ばれるもので、マルクス、エンゲルスの特徴は、人類の歴史は、プロレタリア(資本主義社会における賃金労働者階級のこと。無産階級とも)が勝利する必然性を強調している点です。

 つまり、人間を、その労働と階級闘争とによって世界を変革するものと捉え、歴史は人々の観念の変化によって発展してきたのではなく、労働する人間の変革する力と階級闘争とによって発展した来たのだと考えました。階級闘争を通して社会は発展する、マルクスたちはそのように確信したのです。

 モノを作る力が歴史を造った大きな要因であるとすると、社会を変革すればそれに従って人間性も変革されるという考えにたどりつきます。こうした考えに、人間を内側から観察することはできません。心理学という学問が、ロシアを始め共産主義国で発達しなかった理由は、マルクスらのこうした弁証法的唯物論が色濃く影響しています。

 また、弁証法というのは前述の「花」のように、一つの事柄がその内側から自分自身を否定するものを必ず生み出し、より高いレベルへ向けて発展してゆくというものですから、たとえ人類の歴史がプロレタリアの勝利を迎えたとしても、プロレタリア社会もまた自身を否定してしまうので、プロレタリアの勝利もまた次の段階へ向かうための通過点に過ぎなくなります。プロレタリア社会の次に来るものは何か。それは私有財産の否定の否定、つまり資本主義社会です。この矛盾について、マルクスは何も答えていません。

「階級」
「共産党宣言」第1章には、「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」と書かれ、「全社会は…二大階級であるブルジョア階級とプロレタリア階級に分かれてゆく」と続いています。そのブルジョア階級については、次のように表現されています。
『ブルジョア階級は……つめたい「現金勘定」以外のどんなきずなも残さなかった』『ブルジョア階級は……家族関係を純粋な金銭関係に変えてしまった』
『ブルジョア階級は……彼ら自身の姿に型どって世界を創造するのだ』

 このブルジョア階級に対する表現を見ても分かるように、マルクスの「階級」についての考えは極めて断定的です。しかし実際は、豊かな階級であるブルジョア階級の人たちは物を豊富に持っていますから、現実の行動はそれぞれが勝手気ままでそのありかたには文字通り千差万別の違いが存在します。(イギリス産業革命のオーエンの行動を思い出してください。)
 しかしマルクスは、そうした個々の変化相にはまったく目を向けずに、ブルジョアジーというものは「必ずこう行動するのだ」と断言しています。また、人間社会が「二大階級であるブルジョア階級とプロレタリア階級に分かれてゆく」と述べていますが、社会を構成している要素とはそれほど単純なものではありません。

 イギリスの著名な歴史学者であるE.H.カー(脚注 3 )は「マルクスにとっても、現代の社会学者にとっても、階級というものがとらえどころのない概念であることに変わりはない」と指摘しています。

 例えばサラリーマンという一労働者層ひとつをとっても、大企業に勤めるサラリーマンと、零細企業のそれとは生活様式、考え方、生き方などには大きな隔たりがあり、マルクス流に「サラリーマンとはこういう階級だ」と簡単に一つの枠でくくることは出来ないでしょう。この階級の例でも分かるように、複雑にみえるマルクスの理論は実は単純な二分法による組立です。

 彼の理論の基礎である弁証法とは、討論のための方法を言いますから、かならず対象となるものへの反論から出発します。ですから、どうしても二つの概念が必要となります。資本家と労働者、平和と戦争、搾取する側と搾取される側という考え方がマルクスの立場ですが、現実はもっともっと複雑で簡単に二つには割り切れない中間のものが数多く存在しています。このどちらともつかない要素を完全に無視しているところに、マルクス思想の根本的な過ちがあるのでは、とピエロは思います。

「絶対窮乏化論」
 マルクスによると、資本主義社会が進んでゆき少数のブルジョアジーが社会の富を独占するようになると、圧倒的多数の労働者はますます貧しくなり自分の生命さえも脅かされるようになります。これが、彼の絶対窮乏化論です。
 彼が考えた資本家は、労働者を働かせるだけ働かせ、賃金は下げられるまで下げて、自分だけが裕福になるという鬼のような存在です。こうした労働環境がすすむと、労働者は自分たちの生存権を守るために立ちあがり、資本主義社会を暴力で転覆させる、というのが彼が描いた図式でした。

 マルクスの「富」についても考え方はとても特徴的です。
 一般的に経済活動のなかで生まれる富は、物を作ったときではなくそれが消費者によって買われたときに生じるものです。ところがマルクスは著書「資本論」の冒頭で、『資本主義社会の富は膨大な商品の集積として現れる』(資本主義社会の富とは、たくさ
んの商品の集まりである、という意味)と書いています。
 この理論は、とても単純な間違いを犯しています。商品は作っただけでは何の価値もありません。それが一つ一つ消費者に買われ、その代金が回収されて始めて利益が発生し、富が成り立ってゆきます。ですから、経済の要点は生産ではなく、販売であり、流通であり、物とお金の循環にあります。マルクスに、このことを斟酌する余裕はありませんでした。
 
 さらに、マルクスの言うように富が極めて少数のブルジョアジーに独占されていては、プロレタリアたちには商品を購入する余裕などありません。商品を買えるのは少数のブルジョアジーだけということになり、売れる商品の数は極めて少数のブルジョアジーの数を超えることはありません。
 ブルジョアジーが富を独占すると言ってみても、商品が売れなければブルジョアジーが富を得ることは不可能ですから、極めて多数のプロレタリアに商品を買えるだけの余裕を持ってもらうために、ブルジョアジーはいやいやでも労働者の賃金を上げなくてはならなくなります。
 そして、ブルジョアジーが富を増やすには商品を無限に売らなくてはならず、無限に売るためには、それを買ってくれる人(=労働者)を無限に育てなくてはなりません。こうして、資本家が自分の富を蓄えようとすればするほど、労働者の賃金は上がってゆきますから、マルクスの言う悪魔のような資本家は存在しなくなります。マルクスは経済、特に流通については何も分かってはいなかったと言ったら言いすぎでしょうか。

「プロレタリア革命の必然性」
 資本主義社会が発達すれば必ずプロレタリア革命が起こる、とマルクスは共産党宣言の中で次のように述べています。

 『工業の発展とともに、プロレタリア階級は数を増すばかりではない。…彼らはみずから継続的な組合を作って、この不時の反抗のために…時には闘争は暴動となって爆発する。… プロレタリアの運動は、途方も無い多数者の利益のための、途方もない多数者の独立的運動である。… 大工業の発展とともに…かれら(ブルジョア階級)は何よりも、かれら自身の墓掘人を生産する。かれらの没落とプロレタリア階級の勝利は、ともに不可避である。』

 マルクスによれば、資本主義が発達するにつれて、プロレタリア(労働者)は増加してゆき、彼らは極貧の生活を強いられるようになる。そして、この途方もない多数のプロレタリア階級による暴力革命のみが、真に人々に自由と平等をもたらす、しました。
 しかし、歴史はそれとはまったく逆の道を歩みました。

 アメリカは、今世紀最も資本主義が発達した国の一つです。しかし、アメリカでプロレタリアによる「爆発」は起きませんでした。搾取され貧しい生活を送るはずのアメリカのプロレタリア階級は、自分たちの生活を楽しむだけの余裕をもっています。日本においても同じように、いまの労働者が資本家(社長)から不当に搾取されている状況にあるとはいえません。金持ちはますます金持ちになり、貧乏人はいよいよ貧乏になっていますが、だからと言ってこの隔たりが革命を引き起こすと断じたマルクスの予言は見事にはずれました。
  
 資本主義が発達した国で起こらなかった「爆発」は、資本主義がたいへんい遅れていた農業国ロシアで起こりました(1917年のロシア革命)。しかし、革命を起こす「途方もない多数者」であるはずのプロレタリアは、当時の産業革命が遅々として進まないロシアの中では極めて少数でしかありませんでした。当時のロシアの人口の80%以上は農民だったのですから、マルクスの言うようにプロレタリアのみが革命を行う階級であり、それが「途方もない多数者」であることによって革命が正当化されるならば、ロシア革命はマルクスの言う革命を起こすだけの資格は無かったことになります。

 さらに、「プロレタリアの運動は…途方もない多数者の独立的運動である」と、マルクスは言っていますが、その「多数者」の多くを占める農民については、これをプロレタリア運動に抵抗する階級であると述べています。

 『ひとりプロレタリアのみが、真に革命的なる階級である。下層中流階級、店主、職人、農民は…保守的で、反動的である』。

 「途方も無い多数者の利益」のためになされる革命を率いる共産主義者にとって、農民は革命の敵でありました。

 共産党宣言の最後は、「万国の労働者よ、団結せよ!」と呼びかけています。

 万国とは、文字通りすべての国々のことを指していますが、マルクスにとっての「万国」はスラブ民族以外の国々を指しています。マルクス、エンゲルスによれば、ポーランド人とロシア人を除くスラブ系民族には民族が独立するために必要な歴史的、地理的、政治的条件なない、としています。これらのスラブ系民族は 「畸形無力の小民族」であり、大国の中に組み入れられて始めて歴史に参加できるのであり、そのことによって「柔らかな民族の小さな花」が折られたりむしられたりしても、それはやむを得ないのだそうです。

 マルクスもエンゲルスも、強大な民族には重きを置き、弱小民族には冷淡でした。資本主義が発展してゆく過程で生まれる大企業による中小企業の吸収と同じように、ある小民族が大民族に併合されるのは歴史的な必然であるとこの二人は考えていました。
 全体主義的なその思想はスターリンの次の言葉に端的に表れています。

 「註文をつけずに、ためらうことなく、無条件にソ連を守ろうとするもののみが国際主義者である。」

 プロレタリアによる革命が成功し、人間にとっての理想的な社会-共産主義社会が誕生すると、人々の生活は次のようになるとマルクスは述べています。

 『共産主義社会では、各人は固定された活動範囲を持たず、どこでも好きな部門で自分の腕をみがくことが出来るのであって、それは社会が全般の生産を統制しているからです。だからこそ私は、したいと思うままに、今日はこれ、明日はあれと、例えば朝には狩りをし、午後には魚取りをし、夕方には牧畜をし、食後には哲学するというような気の向くままに活動できるように……』(マルクス著「ドイツ・イデオロギー」)

 このような将来をマルクスは本気で夢見ていまいした。その意味でもマルクスは、ユートピアを、しかもとてつもなく大きなユートピアを思い描いていたのですから、共産主義も、トーマス・モアの流れをくむユートピア思想の一つと位置付けられます。
 しかし、その思想はマルクスが「共産党宣言」の冒頭で書いたように「妖怪」となって、20世紀の世界を傍若無人に歩き回ったのです。かつて熱烈な共産主義者だった関西大学名誉教授の谷沢永一は、マルクスについて次のように述べています。

 『マルクスの理論は「かくあれかし」という彼の発想から始まって、「かくあるはずだ」という想像に結びつき、「かくあらねばならない」という思い込みに到達する。つまり、思い込みが先に立って、現実の具体的な裏付けがまったく欠如しているのである』。

 マルクスの理論が現実から離れていたのは、自分は働かず生涯のほとんどの生活をエンゲルスというスポンサーに頼っていたことと決して無縁ではないでしょう。彼にとって生活とは、自分が勝ち取るものではなく観察の対象でしかありませんでした。
 エンゲルスは「マルクスによって社会主義はユートピアから科学になった」と言っていますが、その「科学」がひとりよがりの夢物語でしかなかったことは、今世紀この地球に現れたすべての社会主義国家の行き詰まりをみれば明らかでしょう。

 「哲学者たちはこの世界をただ解釈してきただけだ。肝心なのは、それを変えることである」とは、マルクスの墓石に刻まれている彼自身の言葉ですが、自分の理論を科学的と思いこみ、世界を変えるのは自分だと錯覚し、人類の良心を代表しているのは共産主義者であるとしたマルクスは、なんと傲慢で独善的だったでしょう。
 
 また、マルクス、エンゲルスの理論は、人の歴史や生活をもっぱら物(経済的側面)から観るもので人間の意思にはあまり重きを置いていません。資本主義の崩壊は必然的であるとして、その過程はとても詳しく述べられていますが、その後の社会をどのように建設してゆくかの論述はみられません。建設は当然のこととして人の意思が必要です。しかし、人間の意思を歴史を作るエネルギーとして認めていない共産主義では、人の意思にかかわる「建設」を語ることができなかったのです。これが、共産主義には「破壊はあっても建設はない」といわれる理由の一つです。マルクスが自分で編み出した共産主義を「妖怪」と言ったことは、彼の数少ない正しい表現でした。

  この項の最後にマルクス主義の要点をまとめておきます。これまで見てきましたように、彼の理論はことごとく歴史が否定しています。
1. 資本家と労働者の所得格差はますます広がる
2. 人類は一握りの富裕な資本家と、多数の貧民に分かれる
3. 労働者の賃金は、生活費の水準を越えない
4. 企業の利益率は低落する
5. 資本主義は、その内的矛盾によって必ず崩壊する
6. プロレタリア革命は、最先進工業国で起こる


 1:コンシデラン
Prosper Victor Considerant: フランスの社会主義者。1832年フーリエ(フランスの空想的社会主義者を代表する人物)の思想に共鳴してユートピア的協同体「ファランジュ」建設運動に参加。1849年6月、ルイ・ナポレオンのローマ出兵に抗議する共和派の蜂起に連座して訴追され、ベルギーに亡命。1854年アメリカのテキサスに渡り、ダラスに共産主義的コロニー「ラ・レユニオン」建設を試みたが失敗。主著『社会主義の諸原理』(1847)はマルクスの『共産党宣言』(1848)に多大の影響を与えたといわれている。

 2:クロポトキン
Pjotr Aljeksjejevich Kropotkin: ロシアの革命家、地理学者、生物学者。公爵の家柄に生まれた。アナキズムの指導者バクーニンと知己を得、国家を廃した上での組織連合による社会を主張する無政府主義の理論家として著作・宣伝に努めた。十月革命以後のソビエト政権に対しては、そのプロレタリアート独裁の考えに反対した。1874年逮捕、投獄されたが、監獄病院から脱出し、40年以上にわたって亡命生活を送るも1917年6月ロシアに帰国。1921年2月8日モスクワで死去。

 3:E.H.カー
Edward Hallett Carr:1892年6月28日 – 1982年11月3日。イギリスの歴史家、政治学者、外交官。現在の眼を通して歴史を見ることの大切さを強調して「歴史とは、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。」と語った。