カジノ(IR)法

ギャンブルな宝くじ

博打による勝敗の分かれ目は、基本的に以下の2通りです。
合理的な賭け方をした人と、幸運な人は儲かる
不合理な賭け方をした人と、不運な人は損をする

しかし、運・不運は人智を超えた神様だけが差配する領域ですから、博打に勝つには何が「合理的」な賭け方を知ることが最も肝要になってきます。が、最も合理的な賭け方は「賭けないこと」です。博打のルーツはローマ時代だと言われますが、もう何千年も実に多くのギャンブラーが必死になって考えてきましたが、公正なルールのもとで行われる博打に必勝法などはなく、博打の最も得な方法は、最初から降りるのが一番なのです。

ところが、庶民にとって一攫千金の夢は捨てがたく、”もしかしたら”の運にかけてギャンブルに参加してしまいます。ピエロもかつてはそうでした。「白蛇の夢を見ると宝くじにあたる」という都市伝説にのって、その夢を見た翌日に宝くじを人生で初めて購入しましたが、結果はかすりもしませんでした。

前節に書いたように、日本では昔から宝くじは博打と同じ範疇に分類され、今でもそれは変わってはいません。というより、現行法では宝くじの発売には賭博よりも思い罪が課せられています。

刑法185条
・賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処す

刑法第187条
・富くじを発売した者は、2年以下の懲役又は150万円以下の罰金に処する。
・富くじ発売の取次ぎをした者は、1年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処する。
・前2項に規定するもののほか、富くじを授受した者は、20万円以下の罰金又は科料に処する。

宝くじの違法性を合法としたのは、1948年に公布された「当せん金付証票法」でした。

日本の歴史をみると、江戸時代の18世紀後半と19世紀初頭の短い期間で、特定の寺社の修復や再建に資するための「富籤(とみくじ)」が寺社奉行所により許可されて、発行する枚数から当選金までの一切を自分たちで定めた寺社により販売されていました。江戸では湯島天神、感応寺、目黒不動が「江戸の三富」などといわれ概ね毎月一回のペースで盛んに行われていましたし、大阪でも、大口を叩く貧乏人が富籤にあたって慌てふためく様子が『高津の富(こうづのとみ:高津は現在の大阪市中央区にある高津神社のこと)』として落語で演じられるほどに流行っていました。しかし、天保の改革で例外なく禁止されてしまいます。その理由は、

① 許可を与えた寺社の数が多くなりすぎて飽和状態となり、赤字興行となるケースが多発した

② 興業請負人が介在するようになって利権構造が複雑化し、寺社でななくヤミの札販売(札屋)が横行するようになった

③ 富くじがブームとなって庶民の射幸心を煽り、風紀が乱れるおそれがある

何やら現在のパチンコ産業についてコメントしているようですが、ともかく天保の改革が始まった1841年から約100年間は富くじを含めたいかなる賭博も日本では禁じられていました。

それが解禁になったのは、敗戦の日からちょうど1ヶ月前の1945年7月16日のことです。

食べるものにさえ窮していた国民の浮動購買力をかき集めて、戦争遂行のために膨れ上がる軍事費を賄うために発行された「勝札(かちふだ)」がそれです。発売された勝札の裏面には「此ノ證票ノ發賣ニ依リ擧ゲタ收益ハ凡テ大東亞戰爭ノ戰費ニ充テラレマス」とありました。銀行員の初任給が80円の時代、勝札は1枚10円の高額で1等賞金は10万円でした。平成29年度の銀行員の初任給の相場は約20万円ですから、現在に換算すると1等賞金は2億5000万円となります。

無条件降伏の4日前、8月11日の朝日新聞には次のような広告が載っています。

「勝札買って戦力増強、当(あた)れば貴方(あなた)の戦意昂揚(こうよう)!断じて勝つための勝札を、貴方はもうお買いになりましたか? 間もなく抽籤日一等拾萬円の幸運を掴む権利は貴方にもあるのです。そんな大金をどうしようなどと気にやむ前に、勝札を買って戦力増強、當たれば貴方の戦意高揚!有効な使いみちはいくらでもあります。躊躇している場合ではありません。」(今では反戦と平和のリーダーのように繕っていますが、戦前の朝日新聞はまごうことなき戦意高揚紙でした)

勝札の発売は敗戦日の8月15日が最終日。あえなくたった一度で終わってしまった「勝札」でしたが、予定通り8月25日に抽せんがあり、当せん金もきちんと払われました。

敗戦後この「勝札」は「宝くじ」と名前を変えて、敗戦わずか二ヶ月後の10月29日に再出発しました。

1枚10円、1等賞金は10万円と「勝札」と同じでしたが、「もの」不足の時代を反映して副賞に木綿布、はずれ券4枚でたばこ10本がもらえるというので大変な人気になりました。戦前は戦費調達、戦後は復興資金が「宝くじ」の目的とされました。

射幸心を煽り、努力もせずに大金が得られるとして禁じられていた「宝くじ」が政府のご都合主義で推し進められ、昭和20年だけでも「宝くじ」の売上高は3億円にも達しました。これに気を良くした政治屋たちは「宝くじ」を戦災によって荒廃した地方公共団体の復興資金の調達とすることを目論み、昭和21年10月には「臨時資金調整法の一部改正(昭和21年法律第49号)」と「大蔵省令の一部改正(昭和21年大蔵省令第110号)」という法律を作り、政府のほか全国都道府県においても宝くじの発売を可能としました。

1948年4月になると、連合国軍総司令部の要求により「臨時資金調整法」は廃止されます。しかし、インフレの高進を抑制するためとの理由で、同年7月には当分の間は従来に引き続き宝くじ制度を存置するという考えのもとに「当せん金附証票法」を制定。庶民の浮動購買力(表向きは不要不急の資金というような意味ですが、実際は政府が合法的に税や公債などでも集められないお金をさしています)を吸収して、地方財政資金の調達に資することを明記して、戦災によって生じた財政の不足分を宝くじの売上によって賄うのがその目的としました。戦後75年にもなろうとしている今日でも、「戦災によって生じた財政の不足分」を補うための宝くじが生きています。

余談ながら、たとえ一時であったとしてもまとな姿勢を有した政権もありました。1954年(昭和29年)の第二次吉田内閣の2月12日付の閣議決定において以下の言葉が確定しました。

「当せん金付証票法に基づくいわゆる宝くじの発売については、戦後における経済の実情に即応し、浮動購買力の吸収と政府及び地方公共団体の財政資金調達のための特別の措置として暫定的にこれを実施することにしたものであって、その性質上、経済の正常化に伴い、なるべく早い機会に廃止せられるべきである。よって、宝くじの発売については、従来から採って来た縮減の方針をこの際さらに徹底し、昭和29年度以降においては、まず政府による宝くじの発売を取りやめるものとする。なお、地方宝くじの発売は、地方財政の現状その他の事情に鑑み、当分の間これを維持するが、今回の政府宝くじ廃止の趣旨に則り、将来適当な機会においてなるべく早く全廃することを目途として運営すべきものとする。」

しかし、その後も宝くじは悪びれた風もなく大手を振って生き延びています。運営側は大物キャラクターをCMに頻繁に登場させて、宝くじがいかに庶民的で夢をもたらすものであるかをアピールしています。所ジョージ、宮川大助・花子夫妻、西田敏行、木村拓哉、米倉涼子、原田泰造、綾野剛、役所広司などが、笑顔を振りまきながら宝くじの購入を呼びかけました。

そして、平成27年の年末ジャンボは前後賞合わせてついに10億円となりました。

もともと、日本の宝くじの当せん金は、証票の10万倍でした。1枚300円の宝くじなら、当せん金の最高額は3000万円ということです。これが第2次中曽根内閣の1985年に20万倍に増額されて前後賞合算で1億円の時代に入ります。

そして1998年、日本が初めてサッカーW杯に出場し長野冬季オリンピックで日本中が浮かれている時、小渕政権下で「当せん金付証票法」が改正され、最高当せん金額が証票金額の100万倍となります。

この100万倍への引き上げは議員提案で、山梨県選出の輿石参議院議員らが中心となって成立しました。その拡大理由を、

①現行法は昭和60以来14年間据え置かれた

②世論調査で1億円以上を望むものが、平成7年度では30.1%と伸びた

③知事会、市長会等より、地方団体の宝くじ環境は厳しく、発売額を確保するために最高金額の引き上げの要望がある

として、「国民の宝くじのニーズに応え、健全な娯楽として定着する宝くじの魅力を高める観点から」したものと述べています。国民の射倖心を当せん金を上げることで増長し、刑法上は違法である宝くじを、「健全な娯楽」とまで言いきる国会議員の主張は、IR法に加担した議員らが述べた「家族みんなで楽しめる」という論調にうり二つです。ギャンブル行為を「健全」と表現できる軽佻浮薄な議員たちだからこそ、カジノは家族で楽しめるという結論が出てきます。

「健全な娯楽」である宝くじの平成29年度の売上は7866億円。払戻金は46.9%の3690億円。都道府県や20の指定都市に公共事業などの使途目的で収められたのは38.1%の2995億円。そして、印刷費や売りさばき手数料は13.7%の1079億円でした(以上、総務省のサイトから)。宝くじの取扱銀行はみずほ銀行の独占で、この手数料も同行が独占します。ゼロ金利の銀行が濡れ手に粟の1000億円を、庶民の浮動購買力をテコにして入手できるシステムは、みずほ銀行にとってとても美味しい商売です。

宝くじに関係する各団体は、所管官庁である総務省の指導の下に運営され、官僚や役人の天下り関係団体になっています。もちろん、そこの役員たちの報酬も運営経費となります。下にあげた財団は公にされている宝くじ関連団体ですが、この他に一体どれだけの企業や団体がその背後にあるかの全貌はまったく分かっていません。

(財)日本宝くじ協会
(財)自治総合センター
(財)全国市町村振興協会
(財)地域活性化センター
(財)地域総合整備財団
(財)全国市町村研修財団
(財)自治体国際化協会
(財)自治体衛星通信機構
(財)地域創造

こうした団体に天下りした総務省事務次官たち。彼らには、ギャンブル宝クジで得た金で運営される財団代表が、定席として用意されています。ちなみに総務省事務次官級の退職金は6000万円前後です。こういう輩をフランス語では AVARE と綴ります。

宝くじ関係団体への総務省事務次官の天下り例
事務次官名 期間 天下り先
柴田 護 S41-44 自治総合センター会長兼理事長、日本宝くじ協会理事長
松浦 功 S51-52 地方自治情報センター理事長
首藤 堯 S52-53 日本宝くじ協会理事長、地方自治情報センター理事長、地域総合整備財団理事長、日本宝くじシステム社長
林 忠雄 S53-54 自治総合センター理事長、地域活性化センター理事長
近藤 隆之 S56-57 地方自治情報センター理事長、全国市町村振興協会理事長
土屋 佳照 S57-59 自治総合センター理事長
石原 信雄 S59-61 地方自治情報センター理事長
花岡 圭三 S61-62 地方自治情報センター理事長、日本宝くじ協会理事長、日本宝くじシステム社長
大林 勝臣 S62-H1 自治総合センター理事長、同会長・顧問
津田 正 H1-2 自治体国際化協会理事長、自治体衛星通信機構理事長、地域総合整備財団理事長、地域活性化センター理事長、日本宝くじシステム社長
持永 堯民 H2-3 自治体衛星通信機構理事長
小林 実 H3-5 自治総合センター理事長、自治体衛星通信機構、地域活性化センター理事長
森 繁一 H5-6 自治体国際化協会理事長、地域創造理事長
湯浅 利夫 H6-7 自治総合センター理事長、地域総合整備財団理事長
吉田 弘正 H7-8 地域活性化センター理事長、地域総合整備財団理事長
遠藤 安彦 H8-10 地域創造理事長、自治体衛星通信機構理事長
松本 英昭 H10-11 自治体総合センター理事長
二橋 正弘 H11-13 自治体国際化協会理事長、自治総合センター理事長

大衆の射倖心を新聞、テレビなどのメディアを巧みに使い分けて煽り、つましさからの一足飛びの生活を夢見るあまたの庶民から収奪したお金を、地方政府とそれを推進する企業や、天下りの総務省らの蓄財に充てる「宝くじ」。それでもまだ、1000万分の1に賭けてみますか?

※ 投稿文中の敬称は略していることもございます。


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