天下りと渡りのパラダイス-競馬

天下りと渡りのパラダイス-競馬

2018-09-28

天下りと渡りのパラダイス-競馬

カジノ(IR)法

宝くじの次に俎上に乗せるのは、競馬です。

南仏カマルグには野生と見間違う白い馬たちが放牧されていて、湿地帯を自由に駆け回る姿はこの地方の自慢でもあります。若い頃に、遠目ながらこの馬たちを見て、神々しいという言葉を初めて具象として見たという経験があります。自然を走る馬は美しいものですが、人の都合に左右されて鞭をもってコースを走らされる競馬に、ピエロは馬たちの哀れさだけしか感じられません。

競馬の起源と考えられているのは、詩人ホメーロスによる「イーリアス」によるものだそうです。当時のギリシアでは貴人の葬儀に際して供養としての競馬が行なわれていました。「イーリアス」はトロイア戦争の英雄アキレウスに仕えた武将・パトロクロスの葬儀における、戦車レースを描いています。映画「ベン・ハー」の最も有名なあの二輪車の馬レースのことです。

日本で記録に残る最古の競馬は、『日本書紀』にあります。それは「大宝元年(706)五月五日、群臣五位以上を走馬に出さしめ天皇隣観し給ふ」とあり、端午の節句に馬を走らせる「籍柳(せきりゅう)」という唐の行事を真似たものでした。これは、厳然たる礼式のもとで行われ、宗教的な意味合いも濃いものでした。勝者には禄を賜り、敗者は輸物と称して物を献じるのが当時のルールでありました。後にこの行事は「負方輸物」と呼ばれて、貴族の間で賭博化するようになります。双六の節でも書きましたが、不労所得でのみ生活していた貴族にはギャンブル好きが沢山いたようです。ただ、この宮中競馬を見られるのは皇族や上流階級に限られていて、庶民には開かれてはいませんでした。

儀式化した宮中競馬に飽きた貴族の中には、自身の私営馬場でも競馬を行うようになります。さらに、神社での神前競馬も始まり、庶民が競馬に縁する機会が急増しました。神前競馬は仁和寺、春日大社、石清水八幡宮、日吉神社、藤森神社など19 個所で行なわれた記録があり、「相撲、神楽等と並んで各地の大社小社で競馬は、祭礼の一の儀式とし、また余興として催されたものであった」という研究もあります(芝田清吾『競馬』、東文堂 1924年)。

『枕草子』、『栄華物語』、『大鏡』、『今昔著聞集』、『源氏物語(澪漂)』、『今昔物語』、『宇治拾遺物語』などには競馬に関する記述が多く見られ、競馬は広く普及していたことが伺われます。枕草子の第154段には、『胸つぶるるもの』として「。競馬(くらべうま見る」とあります。

鎌倉時代になると、京都の私営競馬や神前競馬に比して、鎌倉の武人の間ではではより実戦に即した馬技である流鏑馬や笠懸、犬追物が行なわれていました。江戸時代には、各地で祭典競馬が執り行われ、神社仏閣はもとより各村の鎮守等でも奉納競馬が行われ庶民の娯楽の一環となっていました。しかし、江戸時代は農民の騎乗が禁じられていたり、諸侯の軍事力増強につながる馬種の改良が幕府により阻まれていたために競馬が「娯楽」以上のものになることはありませんでした。

「賭け」を前提とする「近代競馬」は、イギリス人の手で世界中に伝播されました。日本では、幕末の1860年9月1日、現在の横浜元町で居留外国人によって行われ、早くも1862年には現在の横浜中華街一帯に1周1200m、幅11mの円形馬場が作られ本格的な競馬が行われました。

1880年には日本レース・クラブが設立され、はじめて日本人の手による競馬が開催されたのを皮切りに各地方にも競馬俱楽部が生まれます。
1888年、横浜の外国人居留地区で初めて馬券販売を伴う競馬が開始されました。そして、1894年の日清戦争、1900年の北清事変において外国産の馬に間近で接するようになると、日本産馬の馬格・能力の貧弱さが明らかとなり、1904年に明治天皇から馬政振興の大命が下り、国費での馬の改良が積極的に取り組まれるようになります。そして1905年、軍馬の質向上の手段として政府が公認した団体にのみ馬券の販売が許されると、賭け競馬が一気に広がります。しかし、予想以上に賭け競馬にのめりこむ者が続出したためわずか2年たらずで馬券の販売は禁止されました。明治時代の行政府の中には今よりずっとまともな公人がいました。

その後、市井の財界人たちから馬の質向上のための馬券販売が必要との意見が出され、馬券販売禁止から15年後の1923年に競馬法が公布され馬券販売が再開されます。1927年には地方競馬規則も公布され、後の地方競馬のもととなりました。東京優駿大競走(日本ダービー)が1932年にはじまり、1936年(昭和11年)には日本競馬会が設立されました。
二次大戦終結後の翌年1946年11月には、早くも地方競馬法が制定されます。これは闇競馬横行への対応策であったとされています。競馬は再開されましたが、1947年中ごろよりGHQの総司令部経済科学局公正取引課が、日本競馬会の性格と内情を詳しく調べ始め、翌1948年には日本競馬会を閉鎖機関に指定するとの通告を出しました。これにより政府は日本競馬会を解散し、国営・公営実現の方針をとることに決定。1948年7月19日には新競馬法が施行され国営競馬時代が始まります。しかし、国営競馬への道義的責任論がおこり、国営競馬は日本中央競馬会へ引き継がれました。1954年のことです。初代理事長には日本競馬会理事長だった、安田伊左衛門が就任しました。安田は陸軍騎兵大尉から衆議院議員を経て貴族院議員になった男で、「日本ダービーの生みの親」と呼ばれています。

初代会長の席に元国会議員が座ったことが引き金となり、日本中央競馬会JRAの理事長には第13代まですべて天下りが就任しました。JRA出身の土川健之が第14代理事長になった折には「初の生え抜き」と話題となったほどで、日本の競馬界は長く天下りの典型と見做されていました。

第2代 [1955-1957] 有馬 頼寧(農林大臣. 在任のまま死去)
第3代 [1957-1962] 酒井 忠正(農林大臣)
第4代 [1962-1966] 石坂 弘(農商務省総務局長)
第5代 [1966-1972] 清井 正(農林事務次官)
第6代 [1972-1978] 大澤 融(農林事務次官)
第7代 [1978-1981] 武田 誠三(農林事務次官)
第8代 [1981-1985] 内村 良英(農林事務次官)
第9代 [1985-1990] 澤邉 守(農林水産事務次官)
第10代 [1990-1995] 渡邉 五郎(農林水産事務次官)
第11代 [1995-1996] 京谷 昭夫(農林水産事務次官. 在任のまま死去)
第12代 [1996-1999] 濱口 義曠(農林水産事務次官)
第13代 [1999-2007] 高橋 政行(農林水産事務次官)
第14代 [2007-2014] 土川 健之(JRA)
第15代 [2014-] 後藤 正幸(JRA)

競馬にまつわる天下りは日本中央競馬会だけの問題ではありません。
少し古くなりますが、2006年7月5日付け毎日新聞には、このJRAの天下りの実態の一端が報じられています。

『「日本トータリゼータ」などJRA子会社4社と、JRAとの取引に経営を依存する「日本競馬施設」など関係会社8社の計12社に限ると、契約額は711億円に上り、随意契約は674億円(94.8%)を占めた。また05年10月現在で12社の役員67人中、社長全員を含む51人がJRA役職員からの「天下り」だった。… 01年12月に閣議決定した「特殊法人等整理合理化計画」で「一般競争入札等の大幅拡大と、関係会社に対する委託費の削減」を求められた。だが契約全体の随契率は02年度の72.8%から4.8ポイントしか減少せず、12社との随契率も98.2%(02年度)から3.4ポイントの低下にとどまっている。 05年12月の閣議決定でも「公正・中立性の確保上支障のない契約については、2010年までにすべて競争入札に移行させる」と求められていた。』

競馬は専門性の高い業務が多いために随意契約への傾向性が高いと言われます。しかし、専門性の背後には利権構造が垣間見えます。

JRAの関連団体は40近くあり、そこにJRAから助成や発注という形で流れる額は1000億円とも言われています。それらの代表的団体を挙げると以下のようになります。

JRAファシリティーズ : 出馬表などの印刷 競走馬用ゼッケンの製作など(旧 共栄商事)
中央競馬ピーアール・センター : 機関誌「優駿」やDVDソフトなどの制作・販売、場内映像システムの運用
JRAシステムサービス : JRAシステムの開発・運用(旧:日本トータリゼータ)
日本馬匹輸送自動車 : 競走馬輸送業務
競馬セキュリティサービス : 施設警備業務
日本スターティング・システム株式会社 : 発走業務
グリーンチャンネル : 競馬専門チャンネル
競馬飼糧株式会社

こうした団体の役員ポストの多くがJRA職員と農林水産省からの天下りで占められているのが実情です。中には遣りての渡り鳥がいて、官庁 → JRA → 関連団体 → 子会社と連綿と渡りあるいて、数千万円単位の退職金を手にするケースも少なくないと言われます。そもそも、省事務次官級の退職金は6000万円ほどありますから、金にとり憑かれたこうした輩は競馬村に巣食う金食い鳥とも言うべき存在です。

JRAは、「国からの財政支出はない。毎年、勝馬投票券(馬券)の売上げの10%及び剰余金の1/2を国庫納付しており、平成27年度においても、2,781億円を国庫納付し、大きく国家財政に寄与している。」と自社HPで自慢しています。「国からの財政支出はないと」うそぶいていますが、JRAの資本金49億2,412万9千円は全額が政府出資です。さらに、JRAを成り立たせている競馬場はJRAが自費で造ったわけではありません。戦前、戦後を通じて全て公費で始められたものなのに、「売上げの10%」と「剰余金の1/2」を国庫に収めているからと言って、「国家財政に寄与」しているなどとは、抱腹絶倒、夜郎自大でヘソが茶を沸かしてしまいます。恥を知らないこうした姿勢は、旧国鉄と同じです。清算事業団解散時にあった28兆3,000億円の借金のうち、国の一般会計(=借金、つまりは全国民の借金)にくりこまれた額は約24兆円。にも関わらず、JR職員は臆面もなく堂々と高額の退職金をもらい続けています。

「剰余金の1/2」との表現もJRAの狡猾さを表しています。「剰余金」とは収入から支出を引いて残っている金額のことですから、支出の細目が問われない限り、たとえ自分たちの懐をどれだけ暖かくしても「剰余金」が10,000円でも問われることはありません。その証拠が、JRAの高額な給与です。平成29年度における日本中央競馬会(JRA)の役職員の報酬・給与等について、同社の資料 から抜粋してみます。本来は違法であった「競馬」を特例で公営化し、それをそのまま民営化した日本の競馬村の住人はかくも優遇されています。

役職 年収
理事長 2,302.4万円
副理事長 2,011.1万円
常務理事A 1,831.8万円 (3名)
理事B 1,757.3万円(8名)
監事A 1,118万円 (2名)
常勤職員(平均42歳)1484名 877.3万円 (平均年収)
在外職員(平均40.6歳)10名 1,366.1万円 (平均年収)

JRA売上高は1997年度に4兆円を達成しました。しかし、その後14年間は下がり続けて2011年度には2兆2936億円にまで降下します。この年は、東日本大震災に伴う損失や勝馬投票券の売り上げの減少幅が大きく、前年度に比べ1376億円の事業収益の減少があり、純損失も63億円となりました。JRAとしては54年ぶりの赤字決算でした。
がこれを底に、売上は微増を続けて2016年のJRAの収入は2兆6913億円、2017年は2兆7476億円と6年連続の黒字に転じています。

こうした右上がりの主要因はインターネットを使った投票の確立にあると目されています。競馬場や場外馬券売場といえば、胡散臭い中高年男性のたまり場とのイメージが強くて敬遠されがちな場所でしたが、今ではスマートフォンでいとも簡単に投票できるようになっています。このシステムの確立によって、主に週末にレースが行われる中央競馬だけではなく、平日でもレースが開催される地方競馬にもファンの関心が向かうようになりました。確かに競馬の実況放映などを見ると、女性グループや小さな子供を連れた家族などを見ることができます。競馬関係者の思惑は成功し、これまでは門外漢だった若年層やファミリーにまで競馬は浸透し、ギャンブラーを増やすことができました。

ところで、ギャンブルには参加型と受身型の2つの形態があります。

宝くじは典型的な受身型で、参加者が勝敗に関わることはできません。

これに対して、パチンコや競馬、競艇などは参加型と呼ばれ、ギャンブル依存症になりやすいと言われます。

参加型の初期段階では、賭けの対象はほぼ当てずっぽうで選ばれます。この段階で負けが続いていれば、幸いにもギャンブルにのめり込む道から外れることができます。しかし、ビギナーズラックのような幸運に恵まれてたまたま大当たりしてしまうと、日常では決して味わうことのできない「興奮」を得ることができます。この「興奮」は、脳内にある脳内報酬系と呼ばれる部位が強く反応して、ドーパミンという快楽物質が大量に作られて放出されることに由来します。
人生というスパンで見ると、ギャンブルの運のなさはラッキーで、幸運はアンラッキーという相反的な価値を持ちますから、ギャンブルの初期段階で味わうこのラッキーな「興奮」が、不幸への入り口となります。一度この興奮もしくは快楽を味わうと、人の性としてはさらなる快楽を得ようとして、パチンコ屋や競馬場に通い始めます。これが依存症への第一段階です。

そして、当てずっぽうで得た興奮をより精度の良い確率で得ようとするために、多くの情報を集めるようになり、競馬なら買い方を学び、パチンコ(パチスロ)なら打ち方を研究するようになります。この段階の掛け金は上達するための先行投資のように考えられて、負けを損失とは認めたがらない傾向が出てきます。日本では競馬に関する雑誌や新聞は、キオスクでもコンビニでも簡単に手に入れられますから、情報集めは簡単にできます。そうした情報と自分が得た勝負の体験が蓄積されて、自分なりの必勝法が出来上がり、第二段階が定着します。

そして予想が見事に的中して新しい興奮を味わえると、自分の必勝法は頼れる方法であり自分には博打の才能があるとの幻想に心は支配されてしまいます。その幻想は四六時中消えることはなくなり、娯楽であったギャンブルはいつの間にか日常生活の一部にまでなってしまいます。ギャンブル依存症の出来上がりです。

競馬の結果情報は客観的な事実に基づいていますから、情報そのものは信頼のおけるものでしょう。しかし、そのこととレースの勝敗は全く別ものです。レースは人間の意思で行われますが競技者の主役は馬ですし、屋外で行わる競技の常として天候やコース(馬場)の状態が結果に決定的に影響します。さらに、枠順やレース当日の騎手の状態なども勝敗を分ける要因としてあげられます。こうしたいくつもの不確定要素を加味して、勝ち馬を予想しなくてはなりません。ですから、予想が的中するのはたまたまで、ギャンブルに必勝法などはないのです。にも関わらず、ギャンブラーはいくら負けても(何の根拠もなく)次の勝利を確信して、また馬券を買いに行きます。

JRAは自分たちの仕事がギャンブル依存症の引き金になることは百も承知していますから、JRAの公式ウェブサイトにはギャンブル依存症対策の一つとして「勝馬投票券の購入にのめり込んでしまう等の不安のある方へ」とのページが作られていて、小冊子も公開 されています。

『ギャンブルとは「より価値のあるものを得ることを目的に、自分にとって価値あるものを危険にさらす行為」です。そしてこの行為に伴う興奮(期待感あるいは達成感)や非現実感を一人であるいは友人らと味わうことを目的とするギャンブルをレジャーギャンブルあるいは社交的ギャンブルと呼びます。勿論その場合には一定の対価を支払うことになります。ほどよく楽しむことにより、生活に豊かさが加わるわけです。多くの方はこのようなギャンブルのプラスの面を楽しみ、上手く付き合っていることと思います。(中略)しかし、一部の障害ギャンブラーは多重債務や家庭崩壊、さらには自殺企図に至ります。この場合、その方の素因あるいは背景に何らかの問題がある場合が多いようです。それゆえ自然回復困難な重症化事例の場合は医療機関等に助けを求めてください。』

これは精神科医である河本泰信の監修による同ページに掲載されている文言です。

河本泰信は自身がアルコール依存症の経験を持ち、「酒を飲むことで、緊張感と圧迫感が弾け飛ぶ。こんな良い物がこの世にあったのか、他の人達がほどほどで切り上げるのが、不思議だった」と語るほど酩酊をエネルギーとして生きてきた経験をもっています。ほどよいギャンブルが「生活に豊かさ」を与えるなどという考えは、さすがにアルコール依存症経験者の発想ですが、ほどよい飲酒にとどまれなかった人の弁解にしか聞こえません。

地方競馬全国協会も同じような主旨のページがウェブサイト上にあります。

『今後も末永く地方競馬をお楽しみいただくためにも、勝馬投票券は適度に楽しんでいただきたいと考えております。勝馬投票券の購入にのめりこんでしまう不安のある方は、公営競技ギャンブル依存症カウンセリングセンター、 各地方競馬場における窓口、全国精神保健福祉センターなどの機関の窓口を設けておりますので、ご連絡いただくようお願いします』

競馬関係者の生活が今後も末永く保証されるには、『今後も末永く地方競馬をお楽しみいただく』勝馬投票券購入者が必要であり、ほどよく楽しむことよりも、のめり込んでもうらほうが自分たちのより安定した収入源になる矛盾をひた隠して、彼らはギャンブル依存症対策を講じているという姿勢を全面に押し出してます。こういう欺瞞に満ちた姿勢を日本語では、「おためごかし」と言います。

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