警察が協力して作り上げた違法産業 - パチンコ

警察が協力して作り上げた違法産業 - パチンコ

2018-10-10

警察が協力して作り上げた違法産業 - パチンコ

カジノ(IR)法

ローソンの12倍売上げるパチンコ店
「もう“秘境”ではない!」などと皮肉を込めたフレーズで、村初のコンビニエンスストア開店を知らせるニュースが2018年3月末にありました。「秘境」と前置きされた村は奈良県吉野郡上北山村。気候条件が整えばここから富士山が望めるという大台ケ原のある村の人口は450人ほど。都市部では文字通り到るところにあるコンビニが、小さな村にもやっときたというニュースは微笑ましくもありました。

1974年に東京都江東区にオープンしたコンビニ1号店は、またたく間に全国に広がり、日本フランチャイズチェーン協会によれば2018年末時点では、6万店になとうろとしているといいいます。トップはセブンイレブンの20,700店舗。次いでファミリマートの15,765、三位はローソンの14,574店舗でした。このローソンには及びませんが全国に10,596軒(2017年度)もあるのが、ギャンブルの王様とも言えるパチンコ店です。

パチンコ店は戦後の復興とともに急成長し昭和20年代後半には4万5,000軒にまで駆け上がりますが、射幸性の高い連発式パチンコ機の禁止令が出たことにより激減し、昭和30年代のはじめには約8,800軒にまで減少しました。しかし、昭和50年代にフィーバー機登場させて業界は復活。その後業界の再編や大型店舗の進出などがあり、現在は前述のように1万軒のラインにあるようです。

日本遊技関連事業協会によると、2017年度のパチンコ業界総売上は19兆5400億円。店舗数では3割強多いローソンの同年度売上が2兆3100億円でしたから、パチンコ業界はその7割程度の店舗数で8.5倍の売上を得ていることになります。1店舗の売上を比較すれば、ローソンの1.585億円に対しパチンコは18.441億円です。ちなみに、IR推進派議員たちが大好きな世界的カジノ企業であるラスベガス・サンズの同2017年度の総売上は137億2100万ドル。110円換算にしても1兆5070億円ですから、日本には10社のラスベガス・サンズがあることになります。
世界一のトヨタ自動車の2017年度の売上高は27兆54971億円、同年の全国百貨店売上高は5兆9532億円でした。さらに、経済産業省の資料によれば2017年度の出版業界の総売上は1兆6200億円に過ぎませんから、実にパチンコ業界の12分の1でしかありません。これが日本の文化的生活の実像です。

違法を合法にするカラクリ
賭博を禁じた刑法第185条には次のようにあります。

「賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。」

「一時の娯楽に供する物を賭けた」とは、「タイガースが今夜負けたら飯を奢るぞ」というようなもので、金銭が絡まないことがこの法律の一般的な解釈だそうです。つまり、賭博であってもモノが景品の場合はこの法律の「一時の娯楽」として扱われますから、獲得した「玉」や「メダル」を景品と交換するパチンコは賭博ではないという理屈が成り立ちます。しかし、この日本でパチンコから得た景品をそのまま持ち帰る客がいるとしたら、よほどの浮世離れした変人でしょう。東京ではパチンコの換金所はパチンコ店から多少離れたところにありますが、大阪では隣接しているケースが稀ではありません。こうした明らかな賭博行為が堂々と”合法的”に営まれているのは、風営法という法律のおかげです。

饒舌の誹りを覚悟で、風営法の歴史をおさらいしてみます。

風営法の正しい名称は「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」。その成立は昭和23年(1948年)7月10日で、現在まで30回以上の改正を経ています。戦前は、風俗に関する営業ばかりでなく旅館や公衆浴場についても風俗の見地ばかりでなく衛生上の問題からもその規制を行っていました。昭和22年(1957)の新憲法の制定によって戦前の法律が改められると、特に売春、賭博に注視して次の三種類の業種についての規制が行われるようになります。

1. 待合(芸妓との遊興や飲食を目的として利用された場所で、京都では「お茶屋」と呼ばれる)、料理店、カフェ―その他客席で客の接待をして客に遊興又は飲食をさせる営業
2. キャバレー、ダンスホールその他設備を設けて客にダンスをさせる営業
3. 玉突場、まあじゃん屋その他設備を設けて客に射幸心をそそるおそれのある遊技をさせる営業

ダンスホールが風営法の対象となったのは、そこが買売春の取り引きに使われているとの認識からでした。(純然たる「ダンス」営業が風営法から除外されたのは、2016年のことです。)

この法律にパチンコ店が加えられたのは昭和29年(1954)の改正からです。パチンコ店への規制のきっかけとなったのは「正村ゲージ」でした。
正村ゲージ
下の表は昭和24年からのパチンコホール数の推移です。昭和26年を契機にホール数は急激な伸びを示していますが、これは「正村ゲージ」によるパチンコ人気を反映したものでした。業界紙である『遊技通信』1951年10月5日付には、東京では「1日30件近いものの申請があり」 という記事が掲載されています。写真を比較すれば「正村ゲージ」の革新性が一目瞭然です。天釘、ヨロイ釘、ハカマなどの釘、玉を受けて回転する「風車」、いわゆる「チン、ジャラ」と呼ばれるベルなど、すべて「正村ゲージ」の発案者である正村竹一のアイデアでした。彼は業界の発展を望んで、自身の発明に特許申請せずに他の業者が同様のゲージを使用する事を容認していたために、「正村ゲージ」は文字通り爆発的に市場を席巻しました。下の表は、この時代のパチンコ・ホール店舗数の推移です。

昭和24年(1949) 4,818
昭和25年(1950) 8,450
昭和26年(1951) 12,038
昭和27年(1952) 42,168
昭和28年(1953) 43,452
昭和29年(1954) 29,416
昭和30年(1955) 12,391
昭和31年(1956) 9,365
昭和32年(1957) 8,487
昭和33年(1958) 8,792

(出所:全国遊技業組合連合会『全遊連(協)25年史』1977年、307頁)

そして、こうしたパチンコの大人気に目をつけた暴力団などがパチンコの景品であった「煙草」に、「換金」という悪知恵を挿入します。当然の結果として利権を巡る暴力団同志の抗争に発展し、その対応として発効したのが昭和29年の法改正でした。場当たり的な素人経営とこの法改正により、パチンコホール数は急激に減少してゆきます。

さらに、昭和34年(1959)の改正では規制の対象を以下のような七種類に分類拡大します。

1. キャバレーその他設備を設けて客にダンスをさせ、かつ、客席で客を接待をして客に飲食をさせる営業
2. 待合、料理店、カフェ―その他客席で客の接待をして客に遊興又は飲食させる営業
3. ナイトクラブその他設備を設けて客にダンスをさせ、かつ、客に飲食をさせる営業
4. ダンスホールその他設備を設けて客にダンスをさせる営業
5. 喫茶店、バーその他の設備を設けて客に飲食をさせる営業で、総理府令で定めるところにより計った客席における照度10ルクス以下として営むもの
6. 喫茶店、バーその他の設備を設けて客に飲食をさせる営業で、他から見とおすことが困難であり、かつ、その広さが5㎡以下である客室を設けて営むもの
7. まあじゃん屋、パチンコ屋その他設備を設けて客に射幸心をそそるおそれのある遊技をさせる営業

そして、昭和59年(1984年)には大幅改正が行われ、名称の変更(「風俗営業等取締法」から「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」)に加えて、条文を8ケ条から51ケ条へと増加して全面改正に近いものとなりました。この改正で昭和34年に定められた業種分類は以下のように整理されました。

1. キヤバレー、待合、料理店、カフエーその他設備を設けて客の接待をして客に遊興又は飲食をさせる営業
2. 喫茶店、バーその他設備を設けて客に飲食をさせる営業で、国家公安委員会規則で定めるところにより計つた営業所内の照度を十ルクス以下として営むもの(前号に該当する営業として営むものを除く。)
3. 喫茶店、バーその他設備を設けて客に飲食をさせる営業で、他から見通すことが困難であり、かつ、その広さが五平方メートル以下である客席を設けて営むもの
4. まあじやん屋、ぱちんこ屋その他設備を設けて客に射幸心をそそるおそれのある遊技をさせる営業
5. スロットマシン、テレビゲーム機その他の遊技設備で本来の用途以外の用途として射幸心をそそるおそれのある遊技に用いることができるもの(国家公安委員会規則で定めるものに限る。)を備える店舗その他これに類する区画された施設(旅館業その他の営業の用に供し、又はこれに随伴する施設で政令で定めるものを除く。)において当該遊技設備により客に遊技をさせる営業(前号に該当する営業を除く。)

これらの法律により「客に射幸心をそそるおそれのある遊技をさせる営業」をするパチンコ店やパチスロ店は風営法により規制されるということになり、さらに同二十三条により以下のような行為も禁止されました。

第二十三条 第二条第一項第四号の営業(ぱちんこ屋その他政令で定めるものに限る。)を営む者は、前条第一項の規定によるほか、その営業に関し、次に掲げる行為をしてはならない。
1. 現金又は有価証券を賞品として提供すること。
2. 客に提供した賞品を買い取ること。
3. 遊技の用に供する玉、メダルその他これらに類する物(次号において「遊技球等」という。)を客に営業所外に持ち出させること。
4. 遊技球等を客のために保管したことを表示する書面を客に発行すること。

この法律を読んだ限りでは、パチンコで獲得した出玉を現金にできる手立てがあるはずはないのですが、現実に換金は50年以上にわたって何のオトガメもなく行われています。

それを可能にしているのが三店方式です。

三店方式を考案したのは、元大阪府警OBの水島年得(脚注 1 )です。暴力団によるタバコの買い取りを止めさせてその資金源を断つという大義名分があったのでしょうが、ヤクザに買い取らせないでパチンコ店側が買い取るこの方法は法を欺く巧妙狡知の悪知恵にすぎません。三店がそれぞれ独立しているとはいえ、実質的にほとんど商品価値のない特殊景品がパチンコ店を軸として還流している現実は、三店間に約束事が成立していることの証であり、パチンコの換金が違法であることを明示しています。

しかし、警察の真心からのバックアップのおかげでパチンコ業界は一大賭博産業へと成長しました。しかも、それは世界レベルです。

オーストラリアのゲーム機会協会がまとめた「ゲーム機械世界統計 2016」によれば、日本のパチンコ設置台数は、他の先進国のギャンブル用電子ゲーム機(Electronic Gaming Machine:EGM)に比して飛び抜けています。2016年の全世界におけるEGM設置台数は7,870,643台。そのうちの4,575,545台、つまり58.1%が日本にあるパチンコ台です。EGM一台の人口でみると日本は4位ですが、この表にある行政区はみなカジノを主産業とする小さな国もしくは州です。石原慎太郎やIR議員が「先進国では日本だけカジノが許されていない」などと言っていますが、現実はその逆で日本中が一大賭博場になっているのが現実なのです。

(The world Count of Gaming Machines 2016, p.11)
順位 国もしくは行政区 一台あたりの人口(人/台)
1 セント・マーチン 13
2 オーランド諸島 16
3 ネバダ州(米) 17
4 日本 28
5 モナコ 31
6 アルバ(オランダ) 32
7 マカオ(中国特別行政区) 43
8 モンタナ州(米) 57
9 オクラホマ州(米) 60
10 クラカオ 64

小学生にも理解できるほどの姑息な手段でパチンコを「遊技」などという行政用語を使って表現しても、それがギャンブルであることに変わりはありません。

病院などの健康機関が発行しているギャンブル依存症の冊子の多くで、パチンコは常に第一位を占めています。違法であり、ギャンブル依存症の主因でもあるパチンコがかくも長きに渡り日本社会で存続できたのは、警察と議員たちの協力の賜物でした。

パチンコホール業者や機械製造業者、特殊景品取扱業者が一体となって構成している「社団法人日本遊技関連事業協会」(日遊協)の支部、本部の重要ポストには、警察OBが座っていますし、プリペイドカードを業界と一体となって推進した平沢勝栄、パチンコ換金合法化を吹聴していた亀井静香は共に警察官僚でした。まさに「パチンコ業界の用心棒」であるのが警察であり、「パチンコ業界の助太刀」であるのが以下のような議員たちでありました。

政治分野アドバイザー 合計44名(2019年1月8日 更新)

議員名 議院 選挙区 関連所属団体
自由民主党 計24名 (衆議院20名 参議院4名)
山本 有二 衆議院 比例四国 遊技業振興議員連盟、IR議連
野田 聖子 衆議院 岐阜1区 遊技業振興議員連盟、IR議連
岩屋 毅 衆議院 大分3区 IR議連幹事長
田中 和徳 衆議院 神奈川10区 遊技業振興議員連盟幹事
竹本 直一 衆議院 大阪15区 IR議連副会長
原田 義昭 衆議院 福岡5区
山本 拓 衆議院 比例北陸信越
髙木 毅 衆議院 福井2区
山口 泰明 衆議院 埼玉10区
松島 みどり 衆議院 東京14区 時代に適した風営法を求める会(議連)委員
左藤 章 衆議院 大阪2区
西村 明宏 衆議院 宮城3区
葉梨 康弘 衆議院 茨城3区 IR議連副幹事長
御法川 信英 衆議院 秋田3区
秋元 司 衆議院 東京15区
小倉 将信 衆議院 東京23区
神田 憲次 衆議院 比例東海 時代に適した風営法を求める会(議連)委員
鈴木 貴子 衆議院 比例北海道 IR議連
鈴木 隼人 衆議院 東京10区
木村 次郎 衆議院 青森3区
中野 正志 参議院 参議院比例区
伊達 忠一 参議院 北海道 遊技業振興議員連盟、IR議連副会長
大家 敏志 参議院 福岡県 IR議連事務局次長
江島 潔 参議院 山口県
日本維新の会 計6名 (衆議院4名 参議院2名)
馬場 伸幸 衆議院 大阪17区 IR議連事務局次長
井上 英孝 衆議院 比例近畿
浦野 靖人 衆議院 比例近畿 IR議連事務局次長
遠藤 敬 衆議院 大阪18区
石井 苗子 参議院 比例区
東 徹 参議院 大阪府
国民民主党 計8名 (衆議院5名 参議院3名)
古川 元久 衆議院 愛知2区
泉 健太 衆議院 京都3区
牧 義夫 衆議院 比例東海
小宮山 泰子 衆議院 比例北関東
関 健一郎 衆議院 比例東海
増子 輝彦 参議院 福島県
羽田 雄一郎 参議院 長野県区 IR議連副会長
大野 元裕 参議院 埼玉県
立憲民主党 計4名 (衆議院4名 参議院0名)
海江田 万里 衆議院 東京1区
生方 幸夫 衆議院 比例南関東
今井 雅人 衆議院 比例東海
初鹿 明博 衆議院 比例東京
無所属 計2名 (衆議院1名 参議院1名)
鷲尾 英一郎 衆議院 新潟2区
小川 勝也 参議院 北海道

最近では「パチンコ業界の応援団」として有名タレントや歌手を起用してのTVコマーシャルも盛んに放映されています。何をどう取り違えたのか、某男性歌手などはパチンコを「エンターテイメント」だなどと恥ずかしげもなく叫んでいますし、アマチュアスポーツの国際大会にはパチンコホール業者名の大きな横断幕が映し出されるようになりました。ギャンブルに対してこれほど鈍感な国は、やはり可怪しいとピエロは思います。


 1:水島年得(ねんとく):昭和35年(1960)に大阪のパチンコ店と大阪府警が癒着して結成された『大阪府遊技業協同組合』の初代理事長。彼が考案した三店方式とは、パチンコで獲得した玉を換金したい場合に客は出玉をパチンコ店内で特殊景品に交換 → パチンコ店の”たまたま”近くにあるパチンコ店とは表向き一切関係のない景品交換所で買い取ってもらう → 景品交換所(=景品問屋)が特殊景品をパチンコ店に販売、という景品と金のローテーションが無限に続きます。この三店方式によって、「パチンコはギャンブルではなく遊技だ」という主張が大手を振って闊歩できるようになりました。

敗戦後の混乱期のパチンコにタバコが景品となり暴力団が跋扈した背景を理解するには、少し当時を振り返らなくてはなりません。

1940年頃、タバコの銘柄には「敷島」「国華」「響」「錦」など25種がありましたが、戦時中に少しずつ整理されて1944年(昭和19年)には、「金鵄(もとのゴールデンバット)」や「朝日」など6種だけとなっていました。働き手が兵隊に取られることによる(葉たばこの生産からシガレットの製造にいたるまでの)人手不足、そして物資不足によって生産量は激減したことがその伏線にあります。そして敗戦色が濃くなってきた1944(昭和19)年11月に、ついにタバコは配給制となります。

配給は隣組単位で支給されました。概ね5~10軒が一つの隣組を形成し、この隣組ごとに成人男子の喫煙者名簿を書き出して近隣のたばこ店に登録し、政府がその人数に一人あたりの配給本数を乗じた数をたばこ店に割り当てるという方法で行われました。女性の愛煙家は当初から対象外でした。配給制が導入された当初は一人一日6本だったものが、1945年の5月には5本になり、敗戦時には3本にまで縮小されています。

敗戦後もこの配給制は継続されて、1946年8月にはようやく女性も配給名薄に登録されるようになり、翌1947年(昭和22)の5月から女性への配給が開始されましたが、女性への配給本数は男性の四分の一でした。配給本数が男女平等になるのは、同年の11月のことです。

タバコは戦前はもちろん戦後もしばらくは公社による専売が続いていました。昭和20年におけるタバコの専売税収の実収はおよそ9億7000万円で、当時困窮した国家財政にとっては歳入総額のおよそ4.1%を占める重要な財源でした

昭和25年当時の、大卒初任給(公務員)は4,223円。かけそばは15円、ラーメンは20円で食べられた頃、ピース10本入は50円もする高価なものでしたが、日本人が初めて経験した虚無感が街中を覆っていた生活に、タバコは人々の極めて限られた嗜好品の一つで庶民のささやかな楽しみでした。しかし市場に正規ルートで販売されるタバコは限定されており、ヤミ市では私製の手巻たばこや”Winston” “LUCKY STRIKE” “Camel”といった進駐軍横流しの外国タバコが出回っていました。

1950年(昭和25)には、タバコの割当配給制度も廃止され、新しい銘柄が次々に登場し宣伝用のポスターも多く作られるようになります。昭和32年には子供もにも浸透した「今日も元気だ たばこがうまい!」という名コピーも生まれました。(ちなみに、日本専売公社は昭和60年まで存続しました。)

これだけ人気がありしかも数が限られていたタバコが客寄せのためにパチンコの景品となったのは、ごく自然ななりゆきと言えそうですが、そこに目をつけたのが暴力団でした。
「貴重品であるタバコを売ってお金を得たい」というパチンコ客の要望に応えるように、パチンコ店の外には『仲介人』といって景品(タバコ)を買い取る者がどこからともなく生まれました。彼らは買い取ったタバコをパチンコ店に売り、その利ザヤで儲けます。このおいしい話を暴力団が見過ごすわけはなく、時を置かずして暴力団がこの取引を仕切るようになりました。

「暴力団に買い取らせないで、パチンコ店自体が買い取れば暴力団の資金源を叩けるし、客も安心する」と業界が思いたち、1960年(昭和35)に大阪のパチンコ店と大阪府警がタッグを組んで『大阪府遊技業協同組合』を設立し、その初代理事長についたのが水島年得でした。警察が積極的に関与して作った仕組みで生きながらえている違法賭博、それがパチンコです。