キッパーのほつれ

ユダヤ教の教義

ユダヤ教の教義
ユダヤ教として特筆しなくてはならいことは、この宗教が唯一の民族との同一性を保っていることでしょう。私たちは、自分の人種的要素については修正や変更を加えることはできません。しかし、自分がたもつ宗教については、これを自由に選択したり、伝統として受け継ぐべき信仰を拒否したりすることができます。しかし「ユダヤ」にとっては、ユダヤ教徒であることと、ユダヤ「民族」であることとは、その認識に厚薄はあるものの少なくとも感情的には不可分なものだと考えられています。
また、ユダヤ教においては、ユダヤ人が神を選んだのではなく、神がユダヤ人を選んだのだという強烈な選民意識があり、民族についての考察と宗教についての考えは固く結ばれたまま今日まで続いています。

出エジプト記第19章には以下のような記述があります。

「あなたたちは すべての民のうちで
とくに 私のものとなるであろう
事実 全世界は私のものであります
あなたたちは 私にとって司祭たちの王国
聖別された 民族となるでありましょう」

このように、ユダヤ教の教義はユダヤの民族史と共に発展してきたとの観点から、本稿においてもここまでの紙面を費やしてユダヤ史を述べてまいりました。

さて、具体的な教義です。ただし、ごくごく基本的なことだけですのであらかじめ御了承ください。

神によって聖別された選民としての資格を守るために、ユダヤ教にはたくさんの戒律が存在し、義務律248戒と禁止律365戒の、合わせて613の戒律があります。内容は宗教的戒律から生活上で守らなくてはならない決まりなどさまざまですが、ユダヤ民族の生き方がそのままユダヤ教であるという特徴を示していると言われます。
神の存在は証明などまったく必要としない自明の真理であり、その唯一の神のもとで宇宙が創造され、イスラエルが選ばれ、その民としてユダヤ民族が選ばれ、そして歴史が創られています。

人間は、神の形に似せて創られた存在であり、人生の目的は神が現在でも進行しているこの世界の創造に携わることであり、神の業(わざ)を完成させて創造主にその栄光を帰することにあります。ですから、人間は神のように清廉であり、正しく完全であらねばならないとされ、神の意志に反する行為は悪の衝動(=罪)として厳に慎まなければならないこととされます。十戒に代表される律法がその具体的な例で、そのなかでも特に偶像崇拝、姦淫、殺人、中傷が重罪とされています。アメリカは犯罪においても大国であることはつとに知られていますが、そのアメリカの全人口でユダヤ人が占める割合は3パーセントですが、暴力犯罪を犯して投獄されているユダヤ人の数は、囚人全体の0.001パーセントであるという報告もありますから、犯罪数の少なさはユダヤ民族の生き方がそのままユダヤ教であるということの一つの証左とも言えましょう。

また人間は弱い存在であり罪を犯しやすいのですが、憐れみに満ちた神は、悔い改める罪人を許します。
ただ、神は人が死んだ後も人の行いの責任を追及します。この世の最後には、全ての死者は甦り、生前の行為によって審判を受け、正しき行いの人間のみに永遠の生命が与えられ、救世主(メシア)によって準備された神の王国に入ることが許されます。

ユダヤ教徒は、朝・昼・晩と一日に3度の祈祷を行ないます。安息日(金曜日の日没から土曜日の日没まで)ごとに行なわれる公的な礼拝では、律法が朗読されます。この律法は54に区分され、一年で読了するようになっています。安息日とユダヤの祝祭日の食事は家庭でなされることが要求されていますので、家庭の前提となる結婚は欠かせない戒律として定められています。男子は8歳で割礼を受け、13歳で成人式を行い戒律の遵守を宣誓させられます。食事にも制限があり、豚肉は不潔として避けられ、肉とミルクを混ぜて食べることも禁止されています。

ユダヤ教の指導者はラビと呼ばれます。しかしこれは、カトリックにおける司祭やプロテスタントにおける牧師とは異なり、特別な宗教的特性や権威などがあるとは考えられていません。ラビは律法に詳しく、ユダヤ教の実践について習熟した教師として考えられています。

2人のユダヤ人
紀元135年の離散(ディアスポラ)以後、世界の各地に住むようになったユダヤ人は、その祖先の出自によって2つに分類されます。
ドイツやフランス、東欧に住んだユダヤ人の子孫は、アシュケナージと呼ばれます。アシュケナージ(Ashkenazic)とは、ヘブライ語でドイツを意味しています。
また、スペイン、ポルトガル、北アフリカ及び中東に住んだユダヤ人の子孫は、スファルディ(Sephardic)と呼称され、スペインを意味するヘブライ語に由来しています。スファルディは、ローマ帝国によってイスラエルを追われたユダヤ人がその淵源であろうと考えられていますが、アシュケナージについては定説がありません。
(この2分法を、ユダヤ文化の二つの形態として捉える説もあります。スファルディは、600年から1500年にかけてスペインで盛んになった生活様式と文化。アシュケナージは、16世紀になって盛んになったドイツのそれ。)

自身を「アシュケナージ」と宣言したハンガリー生まれのユダヤ人で著名な作家・アーサー・ケストラーは、『The Thirteenth Tribe, The Khazar Empire and its Heritage』(邦訳『ユダヤ人とは誰か』)と題された著書で、アシュケナージの「カザール起源説」を力説しています。原題の”The Thirteenth Tribe”は「第13番目の支族」という意味ですから、本稿のNo.2で解説させていただいたユダヤ12支族の次にくるものとしてケストラーは「カザール」を設定しています。(これは史実ではないとの説もありますが、アシュケナージの「カザール起源説」に絶大な影響力をもっていることは事実です)

カザール(もしくはハザール)とは国の名前です。カザールは、非ユダヤ人によるユダヤ教国家として知られて、このような国は歴史的には紀元4世紀頃にアラビア半島南部に興った後期ヒムヤル王朝とこのカザールの2例しかありません。タタール系の騎馬民族の国と考えられるカザールは、6世紀後半にカスピ海の北方沿岸に起こり、10世紀には歴史から消えてしまった国です。当初のハザール国にはキリスト教徒や、イスラム教徒、そしてユダヤ教徒らが国内に混在していたそうですが、8世紀中頃(9世紀という説もある)にユダヤ教を国教としてしまいました。

なぜユダヤ教なのか?それは、この国についての歴史的文献の少なさも手伝って、いまだに明確な答えは出されていません。百科事典などで一般的に解説されているのは、隣接する二つの大文明圏 ― ビザンツとイスラム ― に対して自国の独自性を保つために、苦肉の策として同じ一神教の中でもユダヤ教を選んだのではないか、ということです。いずれにしても、カザールがユダヤ教国となったことは、その後のユダヤ人の歴史論争にとてつもなく大きな波紋を投げかけています。

今私たちが知っている著名なユダヤ人には、セム系ユダヤ人に特有の褐色の肌をしている人はわずかです。相対性理論のアインシュタイン、ヘッジ・ファンドで一世を風靡したジョージ・ソロス、元アメリカ国務長官ヘンリー・キッシンジャーなどはいずれもユダヤ人ですが、肌の色は褐色ではありません。彼らの肌は白く、それはアシュケナージ系のユダヤ人の特徴の一つとされています。この2分法によりますと現在のほとんどのユダヤ人は、「モーゼに率いられてエジプトを脱出したユダヤの民」の末裔ではなく、カザール起源のアシュケナージ系であろうとされています。(ただし、通説の域を脱していません。)

※ 投稿文中の敬称は略していることもございます。


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