キッパーのほつれ

中東の中心課題

平成も30年で終わろうとしています。思えば、21世紀が開けた頃は呑気にも、この世界はきっと良い世紀へ向かって行くのだろうと期待を込めて穏やかな心で見つめていました。しかし、あの2001年9月11日米国で起きた同時多発テロの惨劇。間違いなくこの時点から、世界のありようは変わってしまいました。

経済、テクノロジー、軍事力と二次大戦後は唯一の超大国であったアメリカが、国家ではない相手から建国以来始めての本土攻撃を受けました。ブッシュ大統領は即座に「これは戦争だ」とのメッセージをアメリカ国民に発し、事件より10日の9月20日、「アメリカ合衆国議会合同会議」でブッシュは次にようにスピーチしました。

『米国民は、「この戦争をどのように戦い、どのようにして勝つのか」と問うている。われわれは、持てる資源のすべて、すなわち、あらゆる外交手段、あらゆる情報手段、あらゆる法執行機関、金融面でのあらゆる影響力、そして戦争に必要なあらゆる兵器を使って、世界のテロ・ネットワークの分断と撲滅に当たる。』
Americans are asking: How will we fight and win this war? We will direct every resource at our command — every means of diplomacy, every tool of intelligence, every instrument of law enforcement, every financial influence, and every necessary weapon of war — to the disruption and to the defeat of the global terror network.

『どの国家も、どの地域も、今、決断を下さなければならない。われわれの味方になるか、あるいはテロリストの側につくかのどちらかである。今後、テロに避難所あるいは援助を提供する国家は、米国に敵対する政権と見なす。』
Every nation, in every region, now has a decision to make. Either you are with us, or you are with the terrorists. From this day forward, any nation that continues to harbor or support terrorism will be regarded by the United States as a hostile regime.

未曾有の事態に臨んで、ブッシュは「一緒に戦争をしよう」と各国の判断を迫りました。

そして、米国に追従しかできなかったプレスリー・小泉純一郎は、国会においてテロ特措法を成立させました。

当時は、米国内での炭疽菌の事件などもあり、マスコミはこぞって連日のように同時多発テロにまつわる話を書き立てました。さまざまな方々が批評家や知識人として紙面やTVに登場し、それぞれに自説を展開しました。それらのほとんどは偏見や無見識かもしくはお茶を濁す程度のものでありましたが、自問する習慣の少ない日本の視聴者はこうしたマスコミの論説にまるでシャワーを浴びるように接したため、流される情報に受け身のまま、シャワーヘッドからの湯のごとく全身で受け止めてしまいました。それは、この国がもっている一般的な思想的軽薄さの傾向であったとも言えます。

さらに、そして悪いことに、この国のマスコミは自分たちの言論にたいする責任感を言論の自由という言葉で置き換え、垂れ流しにしたまま検証することはほとんでありませんから、国民がマスコミの情報を鵜呑みにすることで低レベルのマスコミはその存在意義をさらに自認してしまいました。

貿易センタービルの倒壊からもうすぐ20年が経ちますが、中東情勢の混乱はその度合をさらに増しています。比較的距離も近く文化的にも経済的にも相互の影響を持ち続けてきた欧州では移民・難民の問題もあり、中東の動向は日常的こまかく報道されますが、日本はそうではありません。また、トランプ大統領は、エルサレムをイスラエルの首都と公式に認め、2018年5月14日、在イスラエル大使館をエルサレムに移転させてしまいました。アラブ世界にとっては驚天動地の出来事でも、日本のマスコミが注意深くそのニュースを報道することはありませんでした。キャスターとして多くのレギュラー番組を持っている某氏は、「トランプ大統領の真意は、次の選挙のため」とこの件を総括するに及んでは、日本のマスコミの品質もここまで落ちたのかと呆れるばかりでした。

同時多発テロの翌日、9月12日にブッシュ米大統領は次のような声明を出しました。

「私たちの国に対して昨日なされた計画的かつ残忍な行為は、テロ行為以上のものでした。それは、戦争行為でした。これに対するには、私たちの国はゆるぎない、確個とした決意を持たなければなりません。自由と民主主義が攻撃を受けているのです。・・・・この敵は、我が国民だけでなく、世界中の自由を愛する人々すべてを攻撃した。・・・・世界の自由を愛する国々は我々の味方である。これは善と悪の歴史的な闘争となろう。しかし、善が圧倒するであろう。」
The deliberate and deadly attacks, which were carried out yesterday against our country, were more than acts of terror.They were acts of war. This will require our country to unite in steadfast determination and resolve.Freedom and democracy are under attack.
This enemy attacked not just our people but all freedom-loving people everywhere in the world.
The freedom-loving nations of the world stand by our side. This will be a monumental struggle of good versus evil, but good will prevail.

耳ざわりの良い「自由」「民主主義」「愛」などと感情的な言葉を散りばめて、彼はアメリカ製の倫理観をもって世界の同情と支持を得ようと試みました。日本でもそれに呼応した論調が多く見られました。今でもこうした感情に訴える発言で、世界の平和を叫ぶ薄っぺらい評論家がTVや新聞を賑わしていました。

知らないことについては恐怖心や警戒心を抱くのが常ですから、CGのように映し出された衝撃的映像に唖然とする私たちの前で繰り広げられた報道各社の商業的判断による断片的な(しかも偏った)情報に接するばかりでは、イスラム世界への印象が「得体が知れず理解しがたい」「不寛容で攻撃的」「ヒゲをはやした沙漠の民」(松本 高明:2006年「日本の高校生が抱くイスラーム像とその是正に向けた取り組み」『日本中東学会年報』21)という先入観につながってしまったことは無理からぬことだったのかも知れません。

中東問題は、今日でも世界がかかえるいちばんの課題であり、日本でも中東情勢の如何が石油価格を直接揺らして事実から逃れることはできません。しかし、中東問題の基本は、アラブ(パレスチナ)vsアメリカとイスラエルの同盟国という輻輳する対立構造であり、文化的、宗教的背景を考慮してそれぞれの主張の温度差を正しく理解しなくてはならないものだと思います。

しかし、宗教的な節操を持てない人の多い日本では、宗教的な視点から中東問題が分析されることはあまりありません。報道番組のコメンテーター席にはバラエティ番組と同じタレントが座り、一般教養に乏しい彼らによる発言内容は子供じみていてバラエティ番組と報道番組の垣根さえ分からなくなっています。専門家と呼ばれる人たちも視聴者からのオシカリを受けないことを前提にした保身に凝り固まった内容ですし、複雑で解決の糸口さえ見えない世界の課題に真摯に対峙しようする発言が流されることはありません。

また、アメリカ資本主義にどっぷり浸かってしまっている日本のマスコミ人が中東問題に言及するのは、いつも「国益」が大前提となっています。石油産出国と仲の良いパートナーシップを装うためにややこしい問題には目隠をし、火薬庫に手を入れようとするジャーナリストは多くありません。政治家たちも、スムーズに油だけをせしめるのが「国益」であると公言し世界へむけて切り込むことはしません。政治家からマスコミまで日本のオピニオンリーダーたちがこぞって「国益ごっこ」に終始している現状を洗い直し、日本の場当たり的な対応を改めるためにも中東問題の基礎をなぞってみようと思います。

それでは、中東問題の中心である「ユダヤ」から説き起こしてまいります。

※ 投稿文中の敬称は略していることもございます。


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