About Pierrot

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拙宅をお訪ねいただきありがとうございます。
拙い紙面をご覧くださり嬉しいかぎりです。

以下に、当サイトの座主・ピエロの略歴をお伝えいたします。

生まれた年: 1952年10月4日 天秤座 辰年 O型
生まれた所: 静岡県
親から頂いた名前: 嘛佐夫(「嘛」の字が役所に認められず戸籍は「正雄」に)
高校: 静岡県東部の県立高校
最終学歴: ILPGA(L’Institut de linguistique et phonétique générales et appliquées パリ第三大学付属一般および応用言語学・音声学研究所)
現在の住まい: 大阪府

大学へ行くことが既定コースの高校で、3年にもなりながら昼は授業をサボって四つ球ビリヤードに夢中になり、夜ともなれば友達と田舎の繁華街を徘徊していた私に、晴れやかな春が来るはずもありませんでした。不合格発表から10日目、心配顔で見る母の視線を感じながら子供のころから憧れていたフランスへ渡るためのアルバイトを始めました。
朝は5:00に起きて今は亡き親友の家業だった水産加工場で夕方4:00まで。その後、風呂に入って魚の匂いを消し、会員制バーのバーテン補佐として深夜12:30まで。こんなバイトを2年間続けて、20歳のときに渡仏。
Marseilleから西へ150キロメートルほどいったMontpellierが、私が最初に住んだ外国の街でした。

Montpellierは地中海に臨んだ街なので、冬でも温暖で空は高く碧く絵葉書のような街です。が、あまりにものんびりとしたいい所でしたので、ぬるま湯すぎる環境に少しだけ危機感のようなものを感じ、一転して曇天ばかりのフランス最西の街Strasbourgへ引っ越し。今でこそEUの会議場があったりして賑やかですが、その当時は煤けた外壁の建物と鼠色の空が醸し出すヨーロッパの典型的な寂しい田舎街でした。
大学に入籍するものの、ほどなく専攻科目(心理学)の担当教授が私のレポートをピンポイントで授業中にめった切りに。一方的な展開に嫌気が差し、あっさりと退学。紆余曲折を経てパリ大学の付属校だったILPGA(L’Institut de linguistique et phonetique generales et appliquees パリ第三大学付属一般および応用言語学・音声学研究所)を卒業。かつてないほど勉学に勤しんだことが幸いして、この頃にはフランス語で喧嘩ができました。(今はもう初級程度の語学力しか残っていません)
この研究所の先生から、同校の助士の話を頂きましたが、おフクロの帰れコールに引き寄せられて5年半振りに帰国。縁あって京都の短大講師になるも、またも居心地に悪さに早晩退職。アルバイト、外資系の支店長、自営、会社員などを転々し、現在は片道2時間半かかる会社に週2日通っています。

ピエロの背景資料

40代の頃、世論に参加したくて毎週のように一般紙への投稿を繰り返しました。トータルの掲載打率は4割を超えて、イチロー選手に勝ったなどと他愛もなく喜んでいました。以下がその全掲載分です。

どの新聞社も投稿文のタイトルは編集者が適当なものを付けてくれますが、投稿文そのものの扱いはまちまちです。「読売」「毎日」「産経」は投稿者に何の断りもなく、文を操作します。特に「読売」の作業はひどくて、結論部分がごっそり削除されて本意が抜けたまま掲載されたことも多々ありました。

報道紙としての「朝日」は大嫌いなのですが、ことこの投稿についてはとても紳士的でした。助詞一つの変更でも必ず連絡があり、了解を得てからの掲載でした。わずか600字程度の内容ですが、それなりに纏まっていると自画自賛しています。
(タイトルの末尾にある(T)は投稿欄トップでの掲載の意味です)

  読売新聞 「気流」 平成6年(1994)12月13日掲載
『専門知識得ても生かす知恵ない』    全文表示

  朝日新聞 「声」 平成7年(1995)1月7日掲載
『大阪五輪誘致国際化の好機』』    全文表示

  読売新聞 「気流」 平成7年(1995)2月14日掲載
『子孫のためにも政治への関心を』    全文表示

  読売新聞 「気流」 平成7年(1995)3月7日掲載
『数人の税務署員 昼休みにゲーム』    全文表示
※この税務署は大阪市平野区の東住吉税務署。この記事が掲載されて直ぐに、同署では机の配置替えがありました。

  毎日新聞 「オピニオンワイド」 平成7年(1995)3月7日掲載
『民衆と同苦する宗教者いでよ』(T)    全文表示
※この掲載の数日後に、兵庫県下の僧侶が「私は被災地へ行っている」と投稿されました。

  朝日新聞 「声」 平成7年(1995)3月18日掲載
『政治の変革を期待して一票』    全文表示

  産経新聞 「談話室」 平成7年(1995)3月31日掲載
『子供の目線で話し合えたら』    全文表示

  朝日新聞 「声」 平成7年(1995)5月1日掲載
『ノック知事は公人に徹して』(T)    全文表示

  毎日新聞 「オピニオンワイド」 平成7年(1995)6月22日掲載
『大型夏季休暇のすすめ』    全文表示

  朝日新聞 「声」 平成7年(1995)6月23日掲載
『報道に使うなサブリミナル』    全文表示

  産経新聞 「談話室」 平成7年(1995)7月20日掲載
『広島・長崎に仏議員招待を』(T)    全文表示

  産経新聞 「談話室」 平成7年(1995)8月7日掲載
『議員の知恵で善意を生かせ』    全文表示

  朝日新聞 「声」 平成7年(1995)8月23日掲載
『企業の倫理観問われる時代』    全文表示

  読売新聞 「気流」 平成7年(1995)8月30日掲載
『英語教育よりも人間性養成必要』(T)    全文表示

  朝日新聞 「投稿特集 続・核実験どう止める」 平成7年(1995)9月1日掲載
『仏の良心派に希望かけたい』    全文表示

  朝日新聞 「声」 平成7年(1995)10月7日掲載
『反核署名禁止 狭量な教育観』(T)    全文表示

  産経新聞 「談話室」 平成7年(1995)10月25日掲載
『生活を脅かす核実験「憎い」』    全文表示

  朝日新聞 「声」 平成7年(1995)11月10日掲載
『隣国との友好 閣僚が奪う国』(T)    全文表示
※掲載当日、老人と思わる方から自宅に電話があり、差別用語満載のすごい剣幕で批判されました。

  毎日新聞 「オピニオンワイド」 平成7年(1995)11月14日掲載
『教師が最大の教育環境』    全文表示

  産経新聞 「談話室」 平成7年(1995)12月4日掲載
『企業メセナに支援必要では』(T)    全文表示

  朝日新聞 「声」 平成8年(1996)1月12日掲載
『政治を国民に禅譲すべき時』(T)    全文表示
※この投稿の次下は同じテーマを扱った東京都選出の衆議院議員でした。

  毎日新聞 「みんなの広場」 平成8年(1996)1月26日掲載
『教師を「先生」と呼ぶな』    全文表示

  朝日新聞 「声」 平成8年(1996)3月8日掲載
『金・命の次は心さえ危うい』    全文表示

  読売新聞 「気流」 平成8年(1996)3月23日掲載
『五輪出場の選手は気軽に楽しんで』    全文表示

  毎日新聞 「オピニオンワイド」 平成8年(1996)3月27日掲載
『イヌワシなど生息地にダムとは』    全文表示

  朝日新聞 「声」 平成8年(1996)4月11日掲載
『新社会人こそ世の浄化役』    全文表示

  朝日新聞 夕刊「語りあう」 平成8年(1996)4月16日掲載
『あいさつ無視に負けないで』    全文表示
※ある読者から、この投稿で引用した本を尋ねられたので新たに買い求めお送りしました。が、返事なし。

  朝日新聞 「声」 平成10年(1998)6月25日掲載
『W杯での熱気 選挙で示して』(T)    全文表示

  朝日新聞 「声」 平成10年(1998)8月29日掲載
『武力否定こそ日本の誇り』    全文表示

  朝日新聞 「声」 平成14年(2002)9月24日掲載
『危うさ感じるカジノの誘致』    全文表示

  朝日新聞 「声」 平成16年(2004)5月17日掲載
『社命優先より己の良心大切』    全文表示

  朝日新聞 「声」 平成20年(2008)8月12日掲載
『実学の視点抜ける夜間塾』    全文表示

私の一般紙への投稿はここで終了。