領民の安寧が先だった大庄屋
織田信長や豊臣秀吉らと面会して『日本史』を記したポルトガルのカトリック司祭ルイス・フロイスに、「彼ほど心からデウスの教えを愛し、司祭やポルトガル人達に多大な愛情を示した者はいなかった」と言わしめたのは、洗礼名ドン・フランシスコ(普蘭師司怙)の大友宗麟です。大友家は、初代能直(よしなお)の時に源頼朝の寵愛(注1)を受け、豊後国(大分県)大野荘に地頭職を与えられ、豊後守護にも補任されて同国における大友一族の基盤を形成しました。21代当主・宗麟の時代には現在の福岡県、大分県、熊本県にまたがる北九州六国を治め、海外貿易によって莫大な富を得ることになります。しかし天正6年(1578年)に起きた「耳川の戦......
POSTED:2022/2/17