10 アレクサンドル2世による「大改革」

農奴制廃止は「私が息子に残す最も必要な行為」だと述べたニコライ1世の言葉は、子のアレクサンドル2世にどのように響いていたのでしょうか。アレクサンドル2世が行った改革は近代ロシア史において画期的な「大改革」であったことは歴史家に共通する意見ですが、農奴解放令によって「大改革」が始まったわけではありません。クリミア戦争敗北(1856年)と皇帝の交代(1855年)はほぼ同時で、アレクサンドル2世は敗戦によって明かされた弱体化した国家の姿に即位直後に直面します。そして、政府が抱える第一の課題は国家財政の赤字解消をどうするかということを理解しました。1852年から57年の間(クリミア戦争は1853〜56......

POSTED:2022/2/25
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9 ロシア革命の背景だった「農奴」 

前項「レーニンが敷いた独裁体制」でレーニン思想のあらましを見ましたが、理解のヒントとなる言葉の解説を蔑ろにしましたので、今回はちょっと寄り道してレーニンの表舞台となったロシア革命の背景を辿ってみます。ロシアを旅する前に、日本のことを少し書きます。慶応四年は日本近代史の中でも昭和20年の敗戦と並んで、とても大きな出来事があった年でした。1月3日:鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍が敗退2月13日:最後の将軍徳川慶喜、寛永寺で謹慎3月14日:五箇条の御誓文発布4月11日:江戸城の無血開城5月15日:彰義隊、上野で新政府軍と戦い敗退7月17日:江戸が東京と改称8月23日:新政府軍、会津若松城を攻撃。白虎隊自刃......

POSTED:2022/2/20
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8 レーニンが敷いた独裁体制

今日この時代において、社会主義体制の意義が地に落ちていることは正常な人権バランスをもっている人にとっては共通した理解でしょう。ロシアや中国の我田引水、厚顔無恥、牽強付会の態度を連日のように目の当たりにしては、彼らの体制に芥子粒ほどの存在意義の無いことは共産主義者以外の誰もが既知の事実として捉えています。それでも、かつて社会主義は、制度としての所有権や資源の配分という見方から資本主義に並ぶ体制とされ、第二次世界大戦後の東欧では下記のように、ソ連主導による社会主義化への劇的な変動が席捲しました。ドイツ民主共和国(DDR東ドイツ):1949年10月、社会主義統一党委員長・ピークを大統領にして成立ポー......

POSTED:2022/2/15
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7 母の年金が頼りだったプロレタリアのリーダー

ロシアに友人もなく訪れたこともないピエロは、2000万人以上の粛清を断行しその半数を処刑したとされるスターリンへの評価が近年のロシアで高まっていることが不思議でなりません。スターリンから二代後の最高指導者フルシチョフがスターリン批判を行ってから、スターリン評価はマイナスで推移していましが、2018年3月11日にロシアでネット配信された2時間余りのドキュメンタリーフィルム「プーチン」の中で、現大統領プーチン自身が、父方の祖父がレーニンとスターリンの料理人を務めたと明かしたこともあってか、スターリンへの肯定的な評価が高まっています。ロシアの独立系世論調査機関「レバダ・センター」が2019年3月に行......

POSTED:2022/2/1
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6 妖怪を止揚できなかったマルクス

『妖怪がヨーロッパじゅうを歩きまわっている。共産主義という妖怪が。』、という書き出しの「共産党宣言」は、4章からなっています。第1章『ブルジョアとプロレタリア』あらゆる社会の歴史は階級闘争であるとし、資本主義社会が発達すれば、プロレタリアの勝利は必然となると説いています。第2章『プロレタリアと共産主義者』全てのプロレタリア階級運動を指導するのは共産主義者以外になく、プロレタリアの勝利は共産主義者によってのみ可能であると断定しています。また、プロレタリア革命政府が確立されるためには「産業軍」と呼ばれる武力が必要であるとしています。第3章『社会主義的および共産主義的文献』従来の社会主義や共産主義的......

POSTED:2018/11/16
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