ロシア革命 & レーニン

第8回「レーニンが敷いた独裁体制」で、レーニン思想の3つの要点を延べました。1)「革命は暴力革命でなければならない」2)「プロレタリア独裁」3)「民主主義的中央集権制」レーニンが進めた社会主義国家・ソ連は、歴史が示すようにトロッキーの予言通りの「プロレタリア独裁は、プロレタリアートに対する独裁にいた......

POSTED:2022/6/27
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11「血の日曜日」に歓喜したレーニン

世界で最初の社会主義革命がなぜロシアで成功したのか、という素朴な疑問に簡潔かつ明瞭に答えることはとても難しいと、ピエロは思います。ロシア革命に関する本を何冊か参照しましたが、ある研究者は「ロシアの種々のグループに蔓延していた不満」がトリガーになったと書き、またある著者は「ロシアの社会的、経済的な後進......

POSTED:2022/6/9
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10 アレクサンドル2世による「大改革」

農奴制廃止は「私が息子に残す最も必要な行為」だと述べたニコライ1世の言葉は、子のアレクサンドル2世にどのように響いていたのでしょうか。アレクサンドル2世が行った改革は近代ロシア史において画期的な「大改革」であったことは歴史家に共通する意見ですが、農奴解放令によって「大改革」が始まったわけではありませ......

POSTED:2022/2/25
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9 ロシア革命の背景だった「農奴」 

前項「レーニンが敷いた独裁体制」でレーニン思想のあらましを見ましたが、理解のヒントとなる言葉の解説を蔑ろにしましたので、今回はちょっと寄り道してレーニンの表舞台となったロシア革命の背景を辿ってみます。ロシアを旅する前に、日本のことを少し書きます。慶応四年は日本近代史の中でも昭和20年の敗戦と並んで、......

POSTED:2022/2/20
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8 レーニンが敷いた独裁体制

今日この時代において、社会主義体制の意義が地に落ちていることは正常な人権バランスをもっている人にとっては共通した理解でしょう。ロシアや中国の我田引水、厚顔無恥、牽強付会の態度を連日のように目の当たりにしては、彼らの体制に芥子粒ほどの存在意義の無いことは共産主義者以外の誰もが既知の事実として捉えていま......

POSTED:2022/2/15
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