預言者モーセ

ヨセフの支援によって荒野から入植してきたヘブライの民たちにとって、エジプトは大変に魅力に満ちた土地でした。

豊かな大地と洗練されていた文化の中で、彼らの人口は増えエジプト社会の中で次第に力をつけてゆきますが、それは為政者たちにとっては極めて面白くない状況が生まれるということでもありました。

始めは快く受け入れていたものが、エジプトの支配者がヒクソス人(脚注 1 )からエジプト人に代わると、ヘブライ人は次第に迫害されてゆきます。それでも彼らは増えつづけました。

やがてセチ一世やラムセス二世の治世となると、ついに彼らから財産をとりあげて奴隷の身分に追いやってしまい、建築労働に酷使するようになります。しかし、「ヘブライ人を奴隷にしても、いつか反乱を起こすのではないか?」との懸念は拭いきれず、ついに「生まれてきたヘブライの男子は全てナイルの川に流せ」、との過酷な命令を発します。

この時に登場するのが、映画「十戒」でチャールトン・ヘストンが演じたあの「預言者モーセ」で、それは紀元前1290年頃のことでした。

モーセの家族は、ラムセス二世の命令に反して生まれた子供を3ヶ月間密かに育てます。しかし、これ以上隠し切れないと覚悟し、一縷の望みをかけて彼をパピルスの篭に入れナイル川に流します。が幸いにも、水浴びに来ていたエジプト王の娘に助けられ、彼女はこの赤子にモーセという名をつけ王族として育てます。この時モーセの実姉は、機転を効かせて実母をモーセの乳母として王女に仕えさせます。

やがて大人になったモーセは、自分が今は奴隷となっているヘブライ人であるという秘密を知ります。
今の自分の境涯と同胞の窮状とのあまりの違いに悩んでいたある日、奴隷を虐待していた奴隷監督官のエジプト人を殺してしまい、シナイ半島南部に逃れます。モーセは土地の女性と結婚し、養父と共に牧羊をします。ある日ホレブ山(シナイ山)の近くにやってくると、燃えている潅木の炎の中から「モーセ、モーセ」と呼ぶ神の声を聞きました。

神は言います。
「私はあなたたちの先祖、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神であるヤハウェである・・・ヘブライの民をエジプト人の手から救い出して約束の地へ連れて行きなさい。」

モーセは固辞しますが、やがて神の命令には逆らえないと覚悟し、エジプトに戻りエジプト王にヘブライ人の解放を請願します。しかし、願いが受け入れらないとみると、モーセは「十災」を引き起こしてラムセス二世に承諾を迫ります。このモーセは「十災」は、大変に生臭いものです。

①川の水が血に変わり、魚は死に、人は川の水を飲めなくなった。
②蛙がやってきてエジプトの地を覆った。
③地の塵が全てブヨとなった。
④おびただしいアブが発生し、エジプト全土が被害を受けた。
⑤エジプト人の家畜が全て死んだ。
⑥モーセが窓の煤を取り天に撒き散らすと、人や獣に着いて膿の出る腫物となった。
⑦雹が降り全ての農作物を腐らせた。
⑧イナゴの大群がエジプトの全土を覆った。
⑨漆黒の暗闇がエジプトを襲い、人々は何も見えなくなった。
⑩エジプト人の初子(ういご)と家畜の初子が全て死んだ。

十番目の災いを起こすとき、神は家の入口に生贄(いけにえ)の子羊の血が塗ってあるヘブライ人の家だけは”過ぎ越す”(災いを及ぼさない)と約束しました。これがヘブライ人の祭りの一つである「過越(すぎこし)祭」の起源となりました。

引き続き起こる災難に、ラムセス二世は止む無くモーセの申し出を受け入れ、ヘブライの民はモーセに率いられてエジプトからの脱出を果たします。しかし、ラムセス二世は一度は解放を許したものの直ちにそれを悔い、自ら軍隊を率いて彼らの後を追いかけます。

追っ手が迫るモーセたちの前には紅海が広がっていました。

モーセは、手を海の上へ差し伸べます。すると、海は両側に分かれ海底の地がむきだしになり道となって、ヘブライの民は無事に対岸へたどり着きました。しかし、追いかけてきたラムセス二世と彼の軍隊が渡ろうとすると、たちまちに海が戻り彼らを呑み込み軍は全滅してしまいました。
映画「十戒」で画かれた壮大なスペクタクルです。

旧約でえがかれるモーセは立法者であり、ユダヤ民族の解放者であり、さらに宗教創始者でもありました。が、精神医学者・ジークムント・フロイトの説では、モーセの一神教がエジプトの王イクナートン(元の名はアメンホーテプ。紀元前1375年頃に即位したエジプトのファラオ)のアトン教を継承したものであり、ユダヤ人は神に選ばれたのではなく、その一神教を信仰させるためにモーセによって選ばれた民であった、とされています。

多くの歴史家が、モーセを歴史的に実在した人物であるとし、ユダヤ人のエジプト脱出も実際に起こったのだと言明している。

あまりに昔のことなので、ピエロはこのことを検証はできません。
しかし、一つ言えることは、
世界のいずこにあっても民族の英雄とされる人物は常に高貴な生まれであり、そのほとんどのケースで父の存在を脅かすものとして描かれ、そして生命の危機にさらされます。
これは、民族全体が自分たちの由来について大いなる幻想のもとに英雄を欲し、そしてその人物が英雄へと成長するプロセスを神話もしくは伝説、もしくは経典として表現してその歴史が真実であると強調しているということです。

この章の元ネタは、旧約聖書の「出エジプト記」です。そこではイスラエルの先祖たちは「ヘブライ人」と呼ばれています。

これは人種を指す言葉というより、社会層を表す言葉なのだそうです。自分たちの土地を持てず、市民権も与えられないままに外国に寄留し、そこの為政者により強制労働などの使役に使われていた階層を示していたようです。

また、ヘブライ人たちのエジプト脱出劇の背景には、エジプトとヒッタイトの大会戦を考慮しなくてはならないでしょう。
この戦は正確に再構成できる史上最古の大戦といわれ、結局双方ともに勝敗がなく、開戦から18年後にようやく不可侵条約が交わされたほど互いの国力が疲弊したものでした。国力の衰退は国家権力の弱体化となりますから、その好機に乗じて国内にいた捕虜や奴隷が集団逃亡を企て、それに成功したことが想像できます。そして、その逃亡奴隷の中にヘブライ人も交じっていたのでろうと、考える歴史家もいます。また、「出エジプト記」の年代については、ラムセス二世統治時代である紀元前13世紀頃と思われていますが、これも未だに論争の対照となっています。

 ;1:ヒクソス人
ヒクソスとは「異国からきた支配者たち」を意味する。前2000年紀のころ、ヒッタイトなどの民族移動に押されるようにしてアジア系の民族がエジプトに侵入してきたのがヒクソスだと考えられている。ヒクソスによってエジプトにもたらされたものは軍事力。騎馬と戦車(映画『ベン・ハー』に登場した戦闘用の二輪馬車)の技術にすぐれ、エジプト人はヒクソスの侵攻を受けた時に初めて馬や戦車を見て驚き、その圧倒的力の前に屈辱的敗北を喫した。が、1世紀半後にエジプト人は強力な戦車部隊をもってヒクソスを追放し、その領土をシリア、パレスティナにまで伸ばした。
なお、馬は旧約聖書に133回登場する。これはロバとほぼ同数ですが、ロバは牧歌的風景を背景として登場するが、馬の多くは恐ろしい戦争との関わりで語られることが多く、ファラオ率いるエジプト軍の追跡を受けて海岸に追い詰められたユダヤ人のことが「出エジプト記」に描かれているが、エジプト軍の士官たちは騎乗の人だった。