キッパーのほつれ

シナイ半島のアンチテーゼ

モーセに率いられてエジプトを無事脱出したブライ人たちは、その後40年にわたりシナイ半島をさまよいます。彷徨は逆三角形であるシナイ半島のV字に沿った海岸よりを西(エジプト側)から南東へ、そして北東(カナン)へとのぼるルートを辿りました。

エジプトから北東にあるカナンへ直線コースをとれば、わずか400キロメートルの行程です。これは、東京から北へ行けば盛岡、西へ行けば神戸あたりの距離です。しかし、出エジプト記に書かれているのはシナイ半島を時計とは逆周りで一周するというもので、総行程は直線コースの3倍にあたる約1200キロメートルにもなりました。しかも、大変な数の民を引き連れてです。映画『十戒』などで描写される出エジプトのシーンには実に多くのエキストラが参加していますが、出エジプト記28章などによれば、この集団には軍隊に入って仕える資格のある男子が60万人いたと書かれています。すると移動集団の全体では200万人ぐらいでしょうか。1m間隔の5列縦隊で進むと仮定すると総延長は600㎞に達してしまいます。そのようなことから、出エジプトの人数はせいぜい1万人ぐらいだろうという意見さえあります。

Exodus

しかし、聖書の「成人男子60万人」という記述に虚偽があってはなりません。なぜなら、聖書は万物の理性法則を綴ったものですから、「60万人」という数字の真偽は出エジプトの信憑性にだけ関わる問題ではなく聖書全体に及ぶものですから、そこにある記述がどれほそ荒唐無稽なものであっても決して虚構であってはならないからです。今は荒涼とした荒地だが当時のシナイ半島は自然が豊かで栄えた街も多くあった、旅程の途中で多くの民が死んだ(民数記26章では2人しか生き残らなかったと書かれています)、などと聖書肯定派は「60万人」の根拠を挙げています。

掲載した地図の主だったポイント。
③:海が割れた「葦の海」と推定されるところ(「紅海」を渡ったとされていたが、これは前3世紀のギリシャ語への誤訳だった)
⑧:モーセが「十戒」を授けられたシナイ山
⑬:この地域をモーセたちは40年間にわたって放浪した
⑱:ヨシュアによって攻略されたエリコ(脚注 1 

この流浪で最も有名な話は、やはりシナイ山における「十戒」でしょう。
エジプトの脱出から3ケ月目の同じ日、シナイ山の山頂において、神はモーセに「神に対して絶対の服従を誓うなら、その所有する全土をイスラエルに与える」との契約関係を迫ります。モーセは山を降り、宿営していた民に、神のこの要求を受けるか否かを質します。民はことごとく「われわれは、主の言われたことのみを行います」と答えました。それから3日目の朝、神は再びモーセの前に現れ、十戒を授けます。

【十戒】
1.我は汝の神なり。我のほか、なにものをも神とすべからず。
2.汝、偶像を造り、これを拝みこれに仕うべからず。
3.汝の神の名をみだりに唱うべからず。
4.安息日を心に留め、これを聖別せよ。
5.汝の父母を敬うべし。
6.汝、殺すなかれ。
7.汝、姦淫するなかれ。
8.汝、盗むなかれ。
9.汝、隣人に対して偽証することなかれ。
10.汝、隣人の家を欲することなかれ。

ちなみに、この十戒は左右のそれぞれの指に相当するのだそうです。右手は親指から順に上の1~5を当てはめ信仰集団と神との関係を示し、左手も同じように親指から6~10を当てはめて右手で述べられた宗教精神を現実の社会生活の中で生かそうとしたものと言われます。

十戒のうち七つは「するな」という否定です。否定だけを明確に線引きすると、残された範囲での自由は柔軟性に富み、はっきりと禁じられていなければ何をしてもよいと捉えられます。この考え方は、キリスト教と対比すると面白いと思います。イエスが言ったとされる言葉に、「汝が欲することを、他人に施しなさい」というのがありますが、ユダヤ教徒だったヒレル(前100年頃の人)は、「汝が欲せざることを、他人にしてはならない」と言っています。この二つの言葉の間には正反対の生き方があります。

ところで、このモーセについては昔からたくさんの説があります。「そもそもモーセなる男など存在しなかった」というものから、前章のフロイトのように「モーセはユダヤ人ではなかった」という説。エジプトでの布教活動に失敗したモーセが、自分の宗教思想を広める対象としてユダヤ人を「選んだ」、など様々です。が、ここで重要な点は、このモーセの契約によってヘブライ人は「イスラエルの民」という名をもらい、約束された土地で生きる保証を与えられた「選ばれた民」となったことです。そして、さまよう遊牧民から体系的構造をもつ国の民となりました。

さらに、偶像を排したことで彼らの「神」は石で造られた神ではなく、精神の神になりました。このことがユダヤ人の中に誇りを植え付け、神が抽象的な存在になることで彼らに特有の知性的な傾向を生ずるに至ります。反面、神の像を造ることを禁じられたことにより、ユダヤ人の美術活動は19世紀にいたるまできわめてお粗末なものでしかありませんでした。

閑話休題、モーセは約束の地の一歩手前で死んでしまいます。その死後、モーセの従者であるヨシュアが後継者となり、カナンの沃野を目指して怒涛の進撃を開始します。ヨシュアに率いられたユダヤ軍は、行くてに立ちはだかる都市が和睦を申し入れてきたときにはこれを捕らえて奴隷とし、刃向かう敵は容赦なく殲滅し家を焼き払い町中を焼け野原にしてゆきました。そして、紀元前1250年頃、カナンの地を征服し、ユダヤ人はようやく自分達の「国」と呼べる土地に住み着くことができるようになりました。

地図をご覧になってもお分かりのようにカナンの地(現在のイスラエル)は、三つの大陸の交差点になっています。モーセの時代、この地に住んでいたカナン人は多民族国家であり、地中海に開けた港をもつ商人(カナンという言葉は商人の意味)で栄えた町でした。カナン人たちは文化的にも高度なものをもち、特筆すべきは彼らがアルファベット文字を発明したということでしょう。(数学でよく使うアルファ、ベータがギリシャ語であることは存知でしょうが、これはもともとは古いカナン語でアルプ「雄牛」、ベイト「家」からきています。)

後々の歴史を考えると、モーセたちがこの地を選んだのは大きな誤りだったと思われます。三大陸の交差点ということは、軍事的にも欠かせない要所であり、敵対しあう帝国の軍隊が通路として使うことでもあります。この誤った選択のために、ユダヤ人は戦闘があるたびにあるいは殺戮され、あるいは奴隷として売られ、あるいは外国へ追放されたりと、ことあるごとに過酷な宿命を背負わされました。

ここで、旧約聖書についておさらいをしておきます。

旧約聖書はユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三教共通の原点です。「旧約」はイエス=キリストの出現を預言した古い契約を意味すし、「聖書」という名称はキリスト教における呼称で、厳密に言えばユダヤ教では「聖書」と呼ばれるものはありません。(本稿では便宜的にこの呼称を使っています)

いわゆるユダヤ教の正典である「旧約聖書」は律法・預言書・諸書から成り、ユダヤ教が「書物の宗教」と言われるほどにその量は膨大なものです。

律法(トーラー):最初の五書で「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」。「モーセ五書」または「モーセの律法」とよばれ、前 400 年頃ユダヤ教最初の経典となる。

「創世記」 = 天地創造譚、エデンの園のアダムとイブ、カインとアベル、ノアの洪水、バベルの塔の伝説が記されており、次いでアブラハム、イサク、ヤコブら十二族長の物語が語られ、イスラエル民族の選びの歴史が描かれる。
「出エジプト記」 ~「申命記」= モーセの出生から死までの間に、彼を通じてシナイ山やその他の地で神から与えられた律法。

預言書(ネヴィーム):前300年ごろまでに編集され、ユダヤ教第二の経典となる。「イザヤ」「エレミア」「エゼキエル」の三大預言書などで、預言者の名を聖典名とした。預言者とは、神の言葉を預かって民に伝える指導者のことで、未来のことを語る者の意ではない。

諸書(ケトゥヴィーム):「律法」「預言書」に含まれない「伝道の書(ヨブ記、詩編など)」などでバビロン捕囚以後に成立したもの。聖典とされるようになったのは紀元後のこと。

このように旧約聖書は一冊の書物ではなくて、旧約全集と呼ぶほうがその実体をより正確に表しているようです。また、「旧約」という語に差別的な意味あいがあるとして、旧約聖書を「ヘブライ語聖書」と呼ぶ人もいます(同じように、新約聖書を「ギリシャ語聖書」と呼ぶ例もあります)。こうした構成をもつ「旧約聖書」が、その後には以下のような存在となります。

旧約聖書+タムルード(脚注 2 
=ユダヤ教の教義
旧約聖書+新約聖書=キリスト教の教義
旧約聖書+コーラン=イスラム教の教義

旧約聖書は歴史的経緯にそって書かれてはいません。仏典と同じように後世の人たちが編纂したもので、最終的には概ね1000年程の時間をかけてなされました(新約聖書の編纂は、100年ほど)。
例えば私たちに馴染みの深い「天地創造」などの話は、旧約聖書の最も重要な部分と考えられ総括的に律法が記されている「申命記」(前6世紀頃の成立)の後にまとめられたものです。

ユダヤ教を把握する際に大事なことは、この宗教が啓示宗教であるということです。それは、人間の理解や想像を超えたところに真理は隠されていて、神あるいは超越的存在の意志によってはじめて人間に対して露わに示されるということです。人の日常体験や理性的な認識に基づいて修行をしたり、悟りをもとめるという比較的合理主義的な宗教(例えば仏教)に対比されて用いられます。啓示宗教において、神は世界の一切を造り動かしている存在であり、人間さえもその理のなかにあって、神の秩序と調和して生きる時にのみ祝福されると考えられています。


 1:エリコ
温厚なモーセ亡き後の後継者はヨシュア。彼自身によって書かれた「ヨシュア記」に、生々しいカナン征服の記録が綴られている。ヨシュア記6章:『さて、エリコはイスラエルの子らのゆえに固く門を閉ざしていた。出て来る者も入って行く者もいなかった。次いでエホバはヨシュアにこう言われた。「見よ、私はエリコとその王を、その勇敢な力ある者たちを、あなたの手に与えた」・・・・・・・そして、民が角笛の音を聞き、民が大きなときの声を上げはじめるや、すぐに城壁は崩れ落ちていった。その後に民は、各々自分の前をまっすぐに進んで市内に入り、その都市を攻め取った。そして、その都市の中にあったすべてのもの、男も女も、若者も老人も、牛も羊もろばもことごとく剣の刃にかけて滅びのためにささげていった』
ユダヤの神は、安住の地を獲得させるためにユダヤの民にジェノサイドを命じたのです。

 2:タムルード
モーセが伝えたもう一つの律法とされる口伝で語り継ぐべき律法を収めた文書。2世紀末ごろ、ユダヤ教の存続を危惧したラビ(ユダヤ教に於いての宗教的指導者)たちが、口伝で語り継ぐべき律法をあえて書物として編纂したもの。ユダヤ教徒としての実践的な信仰と社会生活の規範を記したもの。ユダヤ教にはこのタルムードの権威を認めない宗派も存在する。

※ 投稿文中の敬称は略していることもございます。


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