核共有は、いま議論すべきでしょうか (5)
核兵器による抑止が安定した平和を呼び込めるとされていた大勢の意見に、疑問符を投げかける意見が登場します。
それは、2007年1月4日にウォールストリート・ジャーナル紙に掲載された「核兵器のない世界を」と題された投稿記事でした(脚注 1 )。
執筆者は、以下の四人です。
ウィリアム・J・ペリー: ビル・クリントン政権下での国防長官。北朝鮮の核開発、中国による台湾沖でのミサイル演習などに直面し、外交的解決を目指しながらも強硬策も用意していた。
ジョージ・シュルツ:レーガン政権下での国務長官。穏和な外交政策を推し進めようとしてレーガンとしばしば対立。中距離核戦力(INF)廃棄条約締結の牽引役だった。
サム・ナン米元上院議員:冷戦後の旧ソ連諸国における大量破壊兵器の管理・廃棄の支援を目的とした協調的脅威削減プログラムを成立に導いた。
ヘンリー A.キッシンジャー: ニクソン、フォード両大統領の下での国務長官、大統領補佐官。ベトナム和平を実現したパリ協定の締結によって1973年ノーベル平和賞受賞。現役時代は、核兵器の選択的使用による核戦略の多様化を提唱して、大量報復戦略が主流だった当時に限定核戦争を提唱した。
そのあらましを掲載します。
「核兵器のない世界を」
『今日の核兵器はすさまじい危険を呈しているが、それは同時に歴史的な機会をもたらしている。米国の指導者たちは、世界を新段階へと導くよう求められている。すなわち、潜在的危険を孕む者達への核拡散を防止し、究極的には世界の脅威である核兵器の存在に終止符を打つための決定的な貢献として、核兵器依存の世界的な中止に向かう確固たるコンセンサスへと導くことである。
冷戦時代においては、核兵器は、抑止の手段として、国家安全保障の維持に不可欠なものであった。しかし冷戦の終焉によって、ソビエト連邦とアメリカ合衆国のあいだの相互抑止という教義は時代遅れのものになった。抑止は、他の国家による脅威という文脈においては、多くの国家にとって依然として十分な考慮に価するものとされているが、このような目的のために核兵器に依存することは、ますます危険になっており、その有効性は低減する一方である。』
『北朝鮮の最近の核実験や、(兵器級物質生産の可能性もある)イランのウラン濃縮計画の中止拒否などによって、世界がいま、新らたな、そして危険な核時代のがけっぷちに立っているという事実が浮き彫りとなった。最も警戒を要することは、非国家のテロリスト集団が核兵器を手にする可能性が増大しているということである。今日、テロリストによって引き起こされる世界秩序に対する戦争においては、核兵器の使用は大規模な惨禍を招く究極的な手段である。そして、核兵器を手にした非国家のテロリスト集団は、概念上、抑止戦略の枠外にあり、そのことが解決困難な新しい安全保障上の課題を生み出している。』
『核兵器によって引き起こされる不測の事態や判断ミス、または無許可使用を回避する目的で、冷戦時代には段階的な保障措置が有効に働いていた。しかし、新たな核保有国はこうした長年の経験による利益を得ることはないだろう。アメリカ合衆国やソビエト連邦は、結果的には致命的とはならなかった数々の過ちから様々なことを学んだ。両国は、意図的にしろ、偶発的にしろ、核兵器が一発も使用されることのなきよう、冷戦時代に絶え間ない努力を積み重ねてきた。今後50年間、新たな核保有国にとって、そして世界にとって、冷戦時代のこのような幸運は望めるのだろうか。』
『核不拡散を推進する強力な取組みが進行中である。「協調的脅威削減(CTR)プログラム」、「地球的規模脅威削減イニシアティブ(GTRI)」、「拡散防止構想(PSI)」、そして国連原子力機関(IAEA)追加議定書などの取り決めは、NPT違反や世界の安全を危機にさらすような行いを探知する強力な新しい手段を提供する革新的なアプローチである。これらの取り決めは完全に履行されるべきものである。北朝鮮やイランによる核兵器拡散問題に対し、国連安全保障理事会の常任理事国に加え、ドイツ・日本を巻き込んだ交渉を行うことが極めて重要である。これらの手段を精力的に追求することを行わなければならない。』
『何よりもまず、核兵器を所持している国々の指導者たちが、核兵器なき世界を創造するという目標を、共同の事業に変えていく集中的な取り組みが必要である。このような共同事業は、核保有国の体質を変容させることなどを含むが、これらによって、北朝鮮やイランが核武装国となることを阻止しようという現在進行中の努力にいっそうの重みが加えられることとなるだろう。』
『合意を目指すべき計画とは、核による脅威のない世界を実現するための基礎作業となる、一連の合意された緊急措置で構成される。そのような措置には、次のようなものが挙げられる。
・冷戦態勢の核兵器配備を変え、警告の時間を増やし、これによって核兵器が偶発的に使用されたり、無許可で使用されたりする危険性を減らすこと。
・すべての核保有国が核戦力の実質的な削減を継続的に行うこと。
・前進配備のために設計された短射程核兵器を廃棄すること。
・上院と協力して超党派的な活動を始めること。たとえば、包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准を達成するために信頼を深め定期的な審議の場を設けるという理解を得ること、当代の技術的な進歩を活用すること、他の重要な国家にもCTBTを批准するよう働きかけること。
・世界中のすべての兵器、兵器利用可能なプルトニウム、および高濃縮ウランの備蓄を対象にした安全基準値をできるだけ高く設定すること。
・ウラン濃縮過程を管理下に置くこと。その際、原子炉で使用されるウランが、まずは原子力供給国グループ(NSG)を通して、次に国際原子力機関(IAEA)やその他の国際的に管理された備蓄から、相応な値段で入手できるという保証が伴うべきである。また、発電用の原子炉で発生する使用済み燃料が原因となって生じる核拡散の問題に対応することも必要である。
・兵器製造に使用される核分裂性物質の生産を地球規模で中断させること。具体的には、民間レベルでの高濃縮ウランの使用を段階的に廃止してゆくこと、世界中の研究施設から発生する兵器利用可能なウランを除去すること、核分裂性物質を無害なものに変質させること。
・新たな核保有国の出現を許してしまうような、地域での対立や紛争の解決に向けた私たちの努力を倍加させること。
核兵器のない世界という目標を達成するためには、いかなる国家や人々の安全をも脅かす可能性のあるあらゆる核関連行為を防止し、それらに立ち向かう、効果的な措置を講じる必要がある。核兵器のない世界というビジョン、ならびにそのような目標の達成に向かう実際的な措置を再び世に訴えることは、アメリカの道徳的遺産と一致した力強いイニシアティブとなるであろうし、またそのようなものと受け止められるであろう。このような努力を積み重ねれば、次世代の安全保障に極めて前向きな影響を与えることができるであろう。大胆なビジョンなくては、これらの行動が正しいことも、緊急であることも理解されないだろう。逆に、行動なくては、このビジョンは、現実的であるとも実現可能性であるとも思われないことであろう。
私たちは、核兵器のない世界を実現するという目標を立て、その目的の達成に求められる行動を精力的に起こすことを支持する。その際、上記のような措置をとることからまず始めなければならないのである。』
この記事の背景には「核の役割」が変化したという認識があったと思われます。冷戦時代における米ソが保有する核の役割は、本稿(3)でみた「核による恐怖の均衡」(MAD体制)でした。しかし、ソ連の崩壊によって冷戦は終わり、旧ソ連からの核物資や核技術の他国への拡散が深刻な国際安全保障上の脅威となってきました。さらに「ならず者国家」への核の拡散や、さらには 9.11テロ以後に至ってはテロリストへの核の流出が現実問題として取りざたされるようになります。それに加えて、インドやパキスタンなどの核兵器不拡散条約未加盟国による核実験と保有があり、さらには北朝鮮やイランの核開発が現実問題となると核拡散への懸念は一層強まり、核の役割に大きな変化が見え始めます。その結果、核による抑止力の有効性はますます低下する一方で危険性は増大している状況が生まれてきました。今の米国にとっての安全保障上の問題は、核による軍事的優位性よりも、核テロの防止にあることとなりました。そして、その核テロを防止するためには、不拡散体制を強化すると同時に、核軍縮そのものが必要だという認識が生まれてきたのです。
そして、そのような核を取り巻く環境の変化は、核ボタンの傍らに身を置きあまたの危機に直面していた人たちだからこそ、切実に感じ取っていたのだとピエロは思います。核兵器開発の先頭を走り続けてきた米国は21世紀を迎えて、「核兵器」の存在理由を豊かな経験に裏打ちされた知性をもって真摯に問い直し始めています。
その一方で、言葉遊びにも近い「核の傘」しか知らない日本の政治的リーダーたちなどは、時に乗じて短絡的な「核共有」を云々する愚かさを表明して恥じるところがありません。
1:「核兵器のない世界を」
記事の原文へのリンク → A World Free of Nuclear Weapons「核兵器のない世界を」
2008年1月15日にも、同じ執筆者による同じタイトルの投稿記事が掲載された。