ピエロのつれづれ

核共有は、いま議論すべきでしょうか (6)

ケネス・ウォルツは、大国の兵力分布が国際政治秩序を左右するとして、究極的には二極構造が国際秩序をもっとも安定させると結論づけました。それは、大国による国家中心主義、安全保障中心主義であり、非国家行為主体や非軍事的領域には関心が払われていません。ですから、2010年3月の韓国海軍哨戒艦「天安」沈没事件で46人が死亡しても、同年11月の北朝鮮による延坪島砲撃で23人が死傷しても、ウォルツにとっては「いやがらせの類」でしかありませんでした。

ウォルツの世界は、戦争が起きる可能性があるとしながらも、現実には、兵力(=核兵器)による勢力均衡が保たれたきわめて静的な世界でしたから、現実の状況を追認しただけであったのかもしれません。また、大国中心の理論でしたから、彼にとっては国際政治学における日本の存在意義などほとんど無かったといっても過言ではないでしょう。

本項ではこれまで、核兵器戦略のあらましを綴ってきましたが、その中心となっている「抑止」には2つの使い分けがあります。

自国に対する核攻撃を抑止することを「基本抑止」といい、同盟国や第三国に対する核攻撃を抑止することを「拡大抑止」あるいは「核の傘」といいます。「核の傘」は、アメリカもしくはロシアが、同盟国に対する核攻撃に対しては核による報復をすることを事前に宣言しておくことで、相手国による核攻撃の意図をくじいてしまおうとする抑止です。日本も隣の韓国も、米国がさしてくれる「核の傘」の中にいます。

橋下徹や安倍晋三らによる「核共有」議論は、ウクライナ侵攻に際してのロシアの核恫喝を契機として俄かに取りざたされるようなりました。

ウクライナ侵攻でロシアがとったエスカレーション抑止戦略が、日本に多大な影響を及ぼす台湾有事や朝鮮半島有事においても当てはまるということです。
「エスカレーション抑止」とは、① 進行中の紛争において核保有国が劣勢となった際に、敵に対して限定規模の核攻撃を行って戦闘の停止を強要する、② 進行中の紛争に核保有国が関与してくることを牽制するために同様の攻撃を行うこと、ということです。

現状の世界地図を都合の良いように変更したい中国や北朝鮮にとっては、いざ侵攻という時に米国の介入を阻止することは必要不可欠で決定的なことです。そのため、中国、北朝鮮へ向ける米軍作戦の基盤となる日本をミサイルで脅し、「米国や台湾、韓国への支援(支持)をしなければ、日本への攻撃は行わない」と恫喝して、日本世論への揺さぶりをかけてくることは想像に難くありません。そしてもしも、その脅しが無視されるとなれば、彼らが日本の米軍基地や自衛隊駐屯地などを実際の標的とすることは躊躇しないでしょう。

こうした中国、北朝鮮による恫喝や攻撃に対処するためには、「核の傘」による抑止力だけではなく、より即効的で効果的な状態を維持して強化しておく必要がある。そのためには「核共有」がもっとも現実的な対策である、というのが橋下たちの議論です。つまり、相手が自分よりも効果的な武器を持っているから、こちらも少なくとも同等の武器をもっておこう、という子供の喧嘩に似た理論です。

しかし、私たち日本人の「核の傘」はどれだけ中国やロシア、そして北朝鮮の核をしのげるのでしょうか。ノルウェーの社会学者であるヨハン・ガルトゥングはその著書『日本人のための平和論』の中で次のように述べています。

「米軍が日本から撤退したら、いわゆる核の傘は存在しなくなる。しかし、私はそもそも核の傘-米国が日本を守るために中国と核戦争に突入するリスクを取る-などということを信じていないので、米軍撤退で日本の安全保障が弱体化するとは考えない。」

日本人なら誰しもが抱くであろう日米安保への不安について、ガルトゥングは、拡大抑止が空論であること、日米安保体制が虚構であることを諭すように言い表しています。
ウォルツはヒトラーでさえ抑止されると論じました。しかし、坂本義和(平成時代の国際政治学者)が言及しているように、「ナチのような狂信的ニヒリズムに貫かれた権力が、核兵器を持って現在の世界に出現したとしたら、世界はどのような危険にさらされるであろうかを想像すれば明らかであろう。ナチの指導者は、最終事態において物理的な自滅と政治的な自滅とを招くことを意に介しなかった。また彼らは、ドイツ国民が莫大な犠牲を払うことをも意に介さなかった(『地球時代の国際政治』岩波書店)」のです。

核攻撃の恐怖を煽り立てることで相手側の行動を抑止する心理戦(=恐怖の惹起)が抑止戦略です。しかし、その抑止が有効に働くための不可欠で最重要な要件は、相手が自分だけの利益に基づいて行う行動が、こちらにとって予測可能なものでなければならない、ということです。

つまり、「抑止論」というものは、相手方の行動はこちらが理解できる合理的なものでなければならないことが大前提になっているのです。
キッシンジャーも言っているように、「どのような損害は許容できないか、という点について、相手と自分とが異なった価値観念を持っているならば、それだけで抑止は機能を喪失する」のです。しかし、人間の歴史は、為政者など国の未来に責任を負うべき人たちが必ずしも合理的な精神をもっているわけではないことを如実に語っています。

ナチズムと同時期に日本に存在したファシズムも非合理的で狂信的でした。永野修身(海軍軍令部総長。A級戦犯として東京裁判中の昭和22年に肺炎で死去)は太平洋戦争開戦の決定に重大な役割を演じたとされていますが、彼の開戦への態度は、「予測しえぬものは戦運であり、勝敗は別物だから必ず敗けるとも限らない。やってみなければ判らず、5番に1番くらいは勝てるかもしれない。ある程度思い切って冒険をおかさなければ成算などない」という極めて非合理的なものでしたし、それが当時の日本軍部の総意であったとも言えるでしょう。

核抑止戦略は、決して文民の政治家だけで働かせているのではありません。それが兵器である以上、軍人の深い関りは避けられません。
その軍人は、純粋な軍事理論(もしくは戦略・戦術)に焦点を当てるように訓練されているとともに、達成すべき明確な作戦目標を与えられているものです。軍人にとっての「勝利」とは、直線的な軍略上での敵の粉砕を意味するだけで、戦争のコストや総括的な政治目標の達成などには考える優先権を与えられていません。また、軍人もしくは軍部は、戦場の現況に応じて計画を立てることが主であり、戦後の世界における問題解決にはそれほど関心がないことを日本人は嫌と言うほど経験しています。
総じていうならば、軍人には侵略してくる可能性のある潜在敵国に対し、その戦争遂行能力が自国にとって危険となる前に機先を制して攻撃しようとする-侵略の企図を未然に阻止するために行う戦争-すなわち予防戦争を支持する強い性向があります。このことは、核弾頭によって相手国の指導者も自動的に抑止されるだろうという核拡散楽観主義者の推論が誤りであること示しています。

第2・3次安倍晋三内閣(2012年12月~2015年10月)は、新たな安全保障政策の基本理念として「積極的平和主義」を掲げました。しかし彼の言うところの「平和」は、旧日本軍の富国強兵と同様の武装強化と、米国と共に相手国を包囲してゆく勢力バランスを日本周辺に敷くことでしかありませんでした。
「積極的平和主義」は前述のヨハン・ガルトゥングが言い始めたものです。国家や民族の間に、ただ暴力や戦争がないだけの状態を「消極的平和 ”negative peace”」とし、信頼と強調の関係があるものが「積極的平和 ”positive peace”」であると、ガルトゥングは明確に使い分けました。このガルトゥングが、安倍晋三の「積極的平和主義」について、次のように語っています。

「消極的平和を積極的平和と言い換えるだけならたんなる無知だが、こうまであからさまな対米追従の姿勢を積極的平和というのは悪意ある言い換え、許しがたい印象操作である・・・中国や韓国の人々は、米国と、米国に動かされる日本の右派勢力を恐れている。彼らは過去の体験から、日本のタカ派がめざす「普通の国」を恐れている。米国が日本を核武装させ、いつか紛争が起こったときに日本を前線に立たせるのではないかと恐れているのである」(『日本人のための平和論』)

日本が受諾したポツダム宣言第6項には、このように記述されています。
「日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する。無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは、平和と安全と正義の新秩序も現れ得ないからである。」
祖父・岸信介が東條英機内閣時に商工大臣であり、A級戦犯でもあった安倍晋三は、この第6項をどのように読んでいるのでしょうか。

岸信介の時代は、人類がかつてないほどに「平和」を希求した時代でもありました。
第二次世界大戦における連合国・枢軸国および中立国の軍人・民間人の被害者数の総計は5000万〜8000万人。文字通り人類史上最悪の戦争で生き残った世界のリーダーたちが創設した国際連合は、人類が犯した過ちに対する歴史的批判と反省から生まれた機構でした(その運用に多々問題があることはここでは問いません)。創設からまだ77年しか経っていないのに、核武装を言い立てる者たちは80年の昔に帰ろうとしています。

イギリスの自治領南アフリカ連邦が成立したのは1910年5月31日。ネルソン・マンデラが大統領となったのは、それから84年後の1994年4月27日。

フランス国王シャルル10世がアルジェリアを占領したのは、1830年6月14日。アルジェリア民主人民共和国として独立を達成したのは、それから132年後の1962年7月5日。

クリストファー・コロンブスが西インド諸島に到達したのは1942年で、植民地アメリカで最初のアフリカ人奴隷の記録がある1619年。アメリカ合衆国50州の中で初めて州の政体を通じて奴隷制に後ろ向きに関わったことをバージニア州が認めたのは2007年2月24日。その間388年。

最初は一笑に付されたであろう神々しい理想は、たくさんの生命と不断の努力を費やして現実となったことを安倍晋三、橋下徹、小池百合子、櫻井よしこたちは認識しなくてはいけないと、ピエロは強く思います。

国連憲章の冒頭にある「国際連合の目的」には、このように書かれています。
『国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること並びに平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争又は事態の調整又は解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること。』

元スウェーデン首相オロフ・パルメの提唱で組織された委員会が1982年6月に提出した『共通の安全保障-核軍縮への道標』には以下のような文言があります。

「平和は軍事対決によっては得られない。平和は、相互の疑惑と恐怖を取り除くことを目的に据え、交渉および接近、関係正常化の不断の過程をふまえて追求されねばならない」

パルメ委員会報告書は、核抑止が安全を提供するというのは謬見であり、核戦争に勝者は存在せず、関係するすべてにとって悲惨なことになるだろうと語りかけ、いかなる国も他国の安全を犠牲にしては自国の安全を追求することはできず、相手の安全保障にも理解を示す相互協力の中にのみ真の安全保障が得られると示しました。

ケネディ大統領補佐官だったプリンストン大学高等研究所前所長のカール・ケーセンが『戦争は時代遅れか』で述べたのは、「国家がその安全を究極に保障するものとして軍事力を行使し、秩序の基礎として軍事力による脅迫を利用することに依存した国際システムは、考えられる唯一のものではない。(集団安全保障を基礎とする)別のシステムを模索することは・・・幻想を追いかけるものではもはやなく、必要な目標に向かっての必要な努力なのである」ということでした。これこそが、予想だにしなかった21世紀の狂人が出現した今こそ、私たちが振り返らなくてはならない平和共有への原点であると、ピエロは思っています。

※ 投稿文中の敬称は略していることもございます。


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