1 それは幻想から始まった

2015年7月16日、自衛隊法改正案など10の法律の改正案を一つにまとめた「平和安全法制整備法案」(安保法案)が衆院本会議で可決されました。この「安保法案廃案」に対して日本共産党は、野党が団結して統一候補を擁立し安倍政権を倒して、「国民連合政府」を樹立しようというアイデアを披露しました。

国政、地方を問わず選挙のたびに聞かれるのは「日本共産党こそが戦前からの平和の党!」という彼らの叫びです。日本共産党のHPに掲載されている日本共産党綱領には「戦前の日本社会と日本共産党」という項目に以下のような下りがあります。

「帝国主義戦争と天皇制権力の暴圧によって、国民は苦難を強いられた。党の活動には重大な困難があり、つまずきも起こったが、多くの日本共産党員は、迫害や投獄に屈することなく、さまざまな裏切りともたたかい、党の旗を守って活動した。
このたたかいで少なからぬ党員が弾圧のため生命を奪われた。他のすべての政党が侵略と戦争、反動の流れに合流するなかで、日本共産党が平和と民主主義の旗を掲げて不屈にたたかい続けたことは、日本の平和と民主主義の事業にとって不滅の意義をもった。」

この党綱領で、自分たちだけが平和と民主主義を掲げて戦中を戦い抜いたと臆面もなく主張していますが、昭和10年に党幹部としてただ一人残っていた袴田里美が治安当局に逮捕されたことで戦前の日本共産党は完全消滅しました。事実上消滅した党が「平和と民主主義の旗を掲げて不屈にたたかい続け」ることなど手品の範疇なのですが、自分たちに都合の悪い事実を捻じ曲げて、粉飾された存在をアピールする姿こそが日本共産党の体質とも言えます。(ちなみに、袴田里美は戦後の党を指導した宮本顕治の路線を批判したことから1977年に党除名されています)

また、政治ボケした野党党首たちはこぞって「小異を捨てて大同に就く」と言って、自民党に対抗するために「敵の敵は見方」である日本共産党との共闘に正当性をもたせようと躍起になっています。中国やロシアに親近しながら資本主義を否定し、アメリカを否定し、北朝鮮の拉致疑惑を否定し、天皇が臨席するからと言って国会開会式に出たり出なかったりの日本共産党との政党理念の違いが「小異」なら、政党の独自性などはその党名に存在するだけです。そして、そうしたご都合主義は、誰が首相になってもこの国は同じだ、という国民の政治的無関心を増長させるだけという簡単な理屈も、彼らには通用しないでしょう。

かつてこの地球上には、本家のソビエト社会主義共和国連邦を筆頭に20もの社会主義国家がありましたが、今、社会主義を標榜しているのは中華人民共和国、キューバ、ラオス、ベトナム、北朝鮮、シリア・アラブ共和国の六カ国のみです(インドを加える意見もあります)。しかも、これらの国は中国を筆頭にして、自由世界の資本主義的国家を真似た偏在資本主義に染められた度合いを年々強めていますので、資本主義という言葉に無理やり「しゃかいしゅぎ」とふりがなをふった偽社会主義国といっても過言ではありません。

にもかかわらずこの日本では、日本共産党がその存在感を有権者に示して共産主義国家を誕生させようと野党を抱き込んでの「国民連合政府」樹立を声高に叫び続けています。世界的な実験が終わりしかもその全てが不成功だった共産主義者が、今更何の戯言をという観がしますが、マスコミを含めて共産党シンパはこの日本にいまだにに多く、あらゆる年代に散らばっています。

『黒い共産主義』は、共産主義の矛盾とその汚れた歴史を再考するカテゴリです。

「理想の社会を求める思想」 ― 「社会主義」

共産主義は、もともと社会主義という思想から生まれたものです。そこで、共産主義の話に入る前に、まずその母体となった社会主義についておさらいしておきます。

「理想的な社会」という意味でユートピアという言葉があります。この言葉は、1516年にイギリスの政治家であったトマス・モアが書いた空想小説「ユートピア」(正式な題名は《社会生活の最善の状態について、およびユートピアと呼ばれる新しい島についての有益で楽しい著作》)に由来しています。ユートピア(utopia)とは、ギリシャ語の「ou(無い)」と「topia(場所)」からなるモアが造った言葉です。

大海に浮かぶ孤島「ユートピア」の住人は、お金や物への欲望をまったくもっていません。厳しい道徳を守り、健康と学問に喜びを見出す生活を送り、昼と夜の食事は島民が共同でとり、子供の教育も共同で行われています。島民の主な仕事は農業。農村と都市の区別はありますが、島民は2年交替で農村と都市で暮らすことになっています。酒好きには残念ですが、居酒屋などはありませんし、もちろんキレイなお姉さんのいる店もありません。島民が使うモノは計画的に生産され、公平に分配されています。モアはユートピア島から帰った主人公に、次のように語らせます。

「こういうわけで、私有財産権が追放されない限り、ものの平等かつ公平な分配は行われがたく、完全な幸福も我々の間に確立しがたい、ということを私は深く信じて疑いません。私有財産が続く限り、大多数の人間の背には貧乏と苦難の避くべからざる重荷がいつまでも残ることでありましょう。」(平井正穂訳、岩波文庫)

 「ユートピア」の時代背景

トマス・モアが生きた時代のイギリスは、それまでの封建制度が崩れようとしていました。資本(お金・土地)を手にした新しい資本家たちが、農業を営みながら織物業をするという新しい産業を興していました。資本家たちによって多くの土地が占有されるようになると、貧しい農民は土地を追われ浮浪者となって都市にあふれるようになりました。モアは、こうした金持ちと貧乏人がはっきりとした社会にかわる理想的な社会のありかたを、「ユートピア」として描いたのです。

「ユートピア」で語られた、私有財産(自由に使用したり処分したりすることができる個人の財産)を許さず、物の生産と流通が社会的な計画のもとで行われるという考え方(共同原理)はその後、世界中へ広まってゆき、後の社会主義思想に大きな影響を与えました。余談ですが、理想郷を描いたモア自身は悲惨な最後を迎えました。

1520年代、兄嫁・キャサリンと結婚した英国王・ヘンリ8世は、宮廷女官のアン=ブーリンと恋に落ちてしまい、キャサリンとの離婚をカトリック教皇に願いでるものの教義上の問題に触れて離婚は難航します。(なぜか英国王室にはこうした話が多い。あのダイアナ妃も…)
宗教的な理由から結局、イギリスはローマ=カトリックと絶縁してこの横車を押しきってしまいます。王家のこの離婚・再婚問題を法遵守の立場から批判しあくまで抵抗したのが大法官だったトマス・モアでした。しかし、いつの時代も主導権は体制派。政敵だったクロムウェルが主導した裁判官のたった15分の審議で、トマス・モアは反逆罪にあたるとされ1535年に処刑されてしまいました。ちなみに、玉の輿に乗ったアン=ブーリンはエリザベス1世は生むものの男子出生が叶わず、ついに姦通罪という容疑でロンドン塔で斬首刑となってしまいました。また、切り離されたトマス・モアの首は、ロンドン塔の橋桁に1ヶ月もの間晒されました。

この処刑は「法の名のもとに行われたイギリス史上最も暗黒な犯罪」と言われますが、彼の「ユートピア」に刺激されて興ったのが社会主義で、そこから共産主義が生まれました。しかし今日では、ズビグネフ・ブレジンスキー(脚注 1 )が書いたように共産主義は20世紀の大きな失敗であり、人類にとっては最も暗黒の思想であったといえましょう。

 1:ズビグネフ・ブレジンスキー
ポーランド出身のユダヤ系政治学者、戦略家で、カーター政権時の国家安全保障担当大統領補佐官を務め外交問題評議会(CFR)のメンバーでもあった。また、世界を牛耳るための裏組織と揶揄されるビルダーバーガーの一員でもあった。さらにTC(日米欧)三極委員会の創設者にして、民主党のアドバイザーをやっていた。「ひよわな花・日本(原題:The fragile blossom – Crisis and change in Japan)」を書いて、「政治的な砂上の国家に築かれた経済大国」と日本を批判した。
2017年、TVキャスターである実娘のミカ・ブレジンスキーは、「人びとが考えることをトランプは正確にコントロールできる」としたうえで、「それは自分たちの仕事だと」発言した。これは、自分たちは庶民の考え方を操ってきたと言っていることであり、自信に手足を付けたような父親の血をしっかりと受け継いでいる。

「共産主義は20世紀の大きな失敗」という言葉は、1989年に発表された『大いなる失敗―20世紀における共産主義の誕生と終焉 』に書かれているもの。この本が書かれた時、すでにソ連は末期的症状を呈していて、ブレジンスキーの予言通り1991年12月に共産主義国家・ソ連は崩壊した。

この書の中でブレジンスキーは、科学的社会主義(=共産主義)が粛清した人の数を5000万人としている。ナチスのユダヤ虐殺600万の実に8倍強である。
「科学的社会主義」という大仰な呼称は共産主義者の特徴である事大主義的な思考傾向を顕著に示した語ですが、歴史と社会構造に共通する法則を適用してそれを現実の社会に応用しようとすること自体が妄想でありますし、その迷妄を押し通そうとしたことがソ連、中国、カンボジア、北朝鮮の悲劇につながったのではないでしょうか。このような共産主義の失敗の歴史を指摘されると、日本共産党は、失敗したのはソ連型社会主義でマルクス主義自体には可能性がある、などという主張を繰り返していますが、それはとても幼稚なノスタルジーに過ぎないと、ピエロは思うのです。