ピエロのつれづれ

核共有は、いま議論すべきでしょうか (9)

「非武装中立」という妄想
今はもう死語に近いものとなっていますが、かつてこの国には「非武装中立」という防衛論が盛んに議論された時代がありました。
これは、日本社会党(現社会民主党)(脚注 1 )がかつて党是として掲げていたもので、日本国憲法前文と第9条を根拠に自衛隊と在日米軍の存在は憲法違反だとし、日本の安全保障政策として、自衛隊の廃止と、在日米軍を肯定する日米安全保障条約の廃止を主張したものです。なお、現社会民主党も、自衛隊は違憲、非武装を党是として掲げています。

元党首石橋政嗣が上梓した「非武装中立論」(社会新報新書、1980年)によれば、その趣旨は以下のようなものです。

『まず第一の理由として、周囲を海に囲まれた日本は、自らが紛争の原因をつくらない限り、他国から侵略されるおそれはないという点を指摘したいと思います。・・・

われわれが軍備による防衛の不可能であることを主張すればする程、どんな家にも錠が取りつけられ、鍵がかかっているではないか、これはそうしなければ空巣が入るからだといったような比喩をもって反論する者が後を断ちません。いわゆる「戸締り論」です。これなどはいかにももっとものように聞こえますが、静かに考えてみますと、これほどおかしなたとえはないのであります。なぜならば、第一に、凶器を持って押し入ってくるのは、空巣やコソ泥ではなく、強盗だということです。強盗は、鍵がかかっておろうとおるまいと、錠前などは打ちこわして侵入してくるのであります。強盗に押し入られたとき、私たちは「抵抗せよ」と教えたり、教えられたりしているでしょうか。この場合の抵抗は、死を招く危険の方が強いことを誰もが知っています。・・・

地方に行けば、いまでも、戸締りなどしないで外出している家が山程あるということです。隣近所の信頼関係か衰えていないなによりの証拠であり、これ(信頼関係)にまさる平和と安全はないということです。・・・

世間には、スイスのような中立国でさえも武装しているではないかといって反論する人もいます。軍隊があり、抵抗の姿勢を示しているからこそ、中立も保たれているのだというわけです。しかし果たしてそうでしょうか。スイスに侵略するものがないのは、この国の軍隊を恐れるからではないはずです。どこの国とも仲よくしようという熱意と誠意を基礎にした外交、これを一致して絶対に支持する国民、そして、これらを暖かく見守る国際世論と環境、それらが相まって、スイスの安全は保障されているのだと思います。・・・

不安だ。もし攻めてくる国があったら「降伏」せよというのかと、さらに執拗に迫ってくる人たちがいることも事実です。このような人たちは、「攻めるとか、攻められるとかいうような、トゲトゲしい関係にならないように、あらゆる国、とくに近隣の国々との間に友好的な関係を確立して、その中で国の安全を図るのだ」といくらいっても聞こうとはしないものです。私は、こういう人たちには誤解を恐れず、思いきって「降伏した方がよい場合だってあるのではないか」ということにしています。・・・』


石橋政嗣は熊本陸軍予備士官学校に入学し、1945年に見習士官となったときに終戦を迎えました。進駐軍のための「勤労奉仕隊」の一員となりました。現地の労働者の中で最も学歴の高かった石橋(台北高等商業学校に進学するも戦時のため繰り上げ卒業)は、23歳で基地内の労働組合書記長となりました。1951年に長崎県議会議員に当選し、1955年に旧長崎2区から立候補して衆議院議員となります。1983年、参院選での惨敗で辞任した飛鳥田委員長の後任として中央執行委員長となりました。「非武装中立論」は石橋政嗣のオリジナルではありませんが(脚注 2 )、この防衛論を日本社会党の党是とするのに大きな影響を及ぼしました。

上記の抜粋を一読されてもお判りにように、日本社会党が展開する「非武装中立論」は緻密な論理ではありません。そして、現実的なものでもありません。

彼が書いた「第一の理由」は虚妄にすぎないことをいくつもの歴史が証明していますし、今日のウクライナの現状をみればこの理由がいかに現実から遊離したものであるかを誰もが納得できるでしょう。

「隣近所の信頼関係」があれば戸締りも無用と言っていますが、国際間の信頼関係などは打算と期待と憶測によって成立しているものですから、お隣さんとのお付き合いの延長線という性質のものではありません。

さらに、スイスの外交を「熱意と誠意を基礎にした」ものと持ち上げていますが、スイスの国庫は傭兵を使った「血」の商いで得た金であることは周知のことです。1789年のフランス革命で亡くなった軍人はスイスの傭兵がフランス人よりも多かったのですし(現在もバチカンの警護はスイス人衛兵135人が担当)、スイス人の外国軍への参加(=傭兵)が法的に禁止されたのは1927年のことです。また、非常に多くのスイス軍人は小銃を家に保管していますし、若い時には徴兵制にとられ、さらに30歳、40歳の節目にも数カ月の軍事訓練を受けなくてはなりません。また、スイスの予備役兵は21万人もいて動員令の48時間後、いつでも軍に動員されることが可能です。WHO(世界保健機構)やIOC(国際オリンピック委員会)、WTO(世界貿易機関)等22もの国際機関の本部がスイスに拠点を置いているのは、この国が永世中立国だからというのではなく、家賃を取らない代わりに職員等の採用を条件にしているというしたたかな国だからです。人口に対する銃火器の所有率はヨーロッパで一位で国民の約10%が軍人ですから、スイスが「熱意と誠意を基礎にした」外交をしているなどと、石橋政嗣はいったいどこからこんな質の低い情報を得ていたのかと訝りたくなります。

「降伏した方がよい場合だってあるのではないか」という下りに至っては、茫然自失、唖然、放心状態になってしまいそうな意見です。こういう能天気な輩は、ロシアのウクライナ侵攻に際しても「降伏した方がよい」と言うでしょうし、北朝鮮のロケットボーイが日本に攻めてきても「降伏した方がよい」と宣うのでしょう。

日本社会党の「非武装中立論」について書いたのは、こんな陳腐で空論に過ぎない非武装中立論などをピエロは支持していないことを表明したかったからです。
「核共有」についても、同じです。ピエロが「核」に否定的なのは、お目出たい平和主義としてではなく、被爆国としての責務や核兵器が日本の防衛に有効なのかとの疑問もあり、そしてなによりもこの国の防衛を考えるには「核共有」の前に議論すべき争点が多々ある、という観点からです。

議論すべき争点の一つ目は、「自衛隊」の存在です。

日本国憲法第九条
日本国憲法 第二章第九条を改めて読んでみます。

第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この条文を一読して、今の自衛隊に疑問を抱かない人は、日本国の内外を問わず、誰もいないでしょう。

「世界の戦力(GLOBAL FIREPOWER)」というウェブサイトの資料によれば、日本の戦力は世界5位に位置するそうです。攻撃用ヘリ119機、戦闘機217機、戦車1004両、潜水艦21隻、駆逐艦36隻など装備量という点ではこれに優る国はあるのですが、防衛予算の潤沢さと最新鋭の装備を備えていることもあっての5位なのだそうです。戦闘機はエアレースに出るわけではありませんし、駆逐艦がクルーズ観光などに流用されはしませんから、これらの装備は明らかに「戦力」です。ですから、「これ(=戦力)を保持しない」とする憲法に従えば、自衛隊は違法です。

このような違法性があるにも関わらず自衛隊がその前身(警察予備隊)から数えれば72年も存続できたのは、一重に「憲法解釈」という裏技を政府が使ってきたからです。

その解釈の根拠となっているのが第二項の「前項の目的を達するため」という一文です(脚注 3 )。「この目的を達するために」という文言が指しているのは、第一項の「国際紛争を解決する手段」という部分ですから、自衛としての武力を用いた場合は、国際紛争を解決しようとしていないと解釈されます。そう考えると、自衛のためであれば戦力を持てるし武力も行使できる、という解釈になります。
第九条の憲法解釈をめぐってはこれまで幾度も国会で問題となりましたが、最近では平成26年5月13日の衆議院における政府答弁は以下のようなものでした。
『いわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、(中略)わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のこと』(答弁第147号)

政府の解釈は、国というものは自然権として自衛権を持っているのだから、第九条は座して死を待つということを求めているとは考えられないとしました。つまり、自然権(法律で認めようがみとめまいが、持っている権利)として自衛権を持っているというのです。また、必要最小限度の自国の防衛をする能力を超えたら戦力になるとも言っていますが、必要最小の「限度」はどこなのかは示していません。そして今の自衛隊は、「必要最小限度」であるので、自衛隊は戦力ではなく、軍隊でもないという解釈をしています。また、政府は国連憲章を引き合いに出してきて、第二項は国連憲章51条の定める個別的および集団的自衛権の存在を否定するものではない、とも言います。

憲法九条をめぐるこうした議論を極論すれば、日本の安全保障対策は恣意的な「憲法解釈」によって成り立っているということです。国、国民、領土を護るという国家の基本政策が、憲法そのものの条文ではなく「解釈」によっている現状はやはり正常ではないと考えます。


 1:社会民主党
土井たかこが党首だった1989年の第15回参院選では68議席を獲得し、改選分では社会党が第一党となった。当時の日本社会党は、土井の個人的人気に支えられた面も大きく、「土井ブーム(おたかさんブーム)」に動かされた選挙となり、土井は「山が動いた」と勝利宣言した。土井たかこの人気はその後急速に衰え、党勢も急落した。土井たか子は、『拉致問題拉致問題って言うけど、先方が拉致なんかないって言っているんだからないんです』と言って問題視されたこともある。2022年4月現在、同党所属の国会議員は参議院の一人のみだが、2022年の参院選への不出馬を表明したため、国会議員として社会党所属歴がある現職の議員はいなくなる。

 2:非武装中立論
日本における「非武装中立」は、山川均と向坂逸郎が社会党左派の社会主義協会において発表したもの。山川均は、岡山県倉敷に生まれ。同志社を中退して上京し、皇太子の結婚事情について書いた論説「人生の大惨劇」が日本で最初の不敬罪に問われ、重禁固刑を受ける。大正11年(1922年)に日本共産党(第一次共産党)が創立されると総務幹事となるも第二次共産党には不参加。昭和26年(1951)に社会主義協会が発足した際には大内兵衛と共に代表を務めた。
向坂逸郎は福岡県大牟田市生まれ。旧制第五高等学校(現熊本大学)在学中に読んだカール・マルクスの著作からマルクス主義に傾倒。1937年に第1次人民戦線事件(ロシア・コミンテルンの呼びかけに呼応して日本で人民戦線の結成を企てた事件。山川均・荒畑寒村も逮捕)に連座して逮捕・投獄される。1946年社会主義運動を続けるという条件のもとに、九州大学経済学部教授に復帰。大学での講義や言論活動の傍ら、社会党や労組の活動家を自宅に集めて『資本論』を講義したり、全国の勉強会に気軽に赴いて、労働者の教育に力を入れたために、次第に社会主義協会系の活動家の間で向坂はカリスマ的存在となった。ソ連のマルクス・レーニン主義研究所の研究員が驚嘆するほどのマルクス主義文献の収集家でもあった。
「非武装中立論」は、自民党が与党であり社会党が野党第一党であり続けた政治システム時代の最大のイデオロギー上の争点だった。日本社会党は、レーニン主義に基づく社会主義政党、階級政党として自らを位置づけ、護憲平和主義の政党として「非武装中立」すなわち日米安体制と自衛隊の解消を目指した。

 3:芦田修正
この一文は、終戦直後に憲法改正特別委員会委員長となった芦田均(のち首相)が改正草案に加えたもの。9条1項で「国際紛争を解決する手段」としての戦争や武力行使を否定。2項は当初、「陸海空軍その他の戦力は有しない。国の交戦権は認めない」という案だったが、芦田がその前に「この目的を達するために」という言葉を加えたことから芦田修正と呼ばれる。芦田はずっと後になってから、「前項の目的を達するため」と入れたのは、自衛力を持つ解釈を可能にするためだ、ということを証言しているが、これが後付けの論理であることは明らか。

※ 投稿文中の敬称は略していることもございます。


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